2011年4月30日土曜日

三陸海岸の震災地のようす


図1.田老の巡検ルート(電子ポータルより)

 駆け足でしたが,岩手県三陸海岸の津波災害のようすを確認してきました。盛岡をベースにして宮古と田老,釜石と石鎚をピストンしました。     どの地域でも同様の被害が発生していますが,当然ながら,漁業を主な生業とする小さな集落ほど被災率は高くなっています。その事例として(「事例」なんて生易しいものではありませんが)田老を取り上げてみます(図1)。


図2.田老港の製氷棟(4Fまで被災)(04/23撮影,以下同)

 田老はこれまで幾度も津波に被災し,現在の技術では考えられる最高レベルの防潮堤が構築されていました。ところが,今回の津波は想定をはるかに超え,12m近い高さに達したようです(図2)。図2の海中には防波堤の残滓?が見えます。どれも3mくらいの大きなコンクリートブロックですが,まるで将棋の駒のドミノ倒しのようです。 
図3.三王岩
  ただし,製氷棟内部の被害は甚大ですが,建物の鉄骨は基盤からしっかりとしており,再利用は可能だと思われます。建物が残った理由は,構造の頑強さとシンプルさによって浮力を受けにくかったこと,近くに倒壊した大きな建物などの流出物が少なく破壊力を受けなかったこと,近くの埠頭と異なり,液状化による基礎の崩壊がなかったことなどが考えられます。

 話題がそれますが,思いがけず奇景を見ることができました(図3)。奇景といってもこのようなローソク岩は各地にありますが,意外だったのは地層が褶曲せず水平だったことと,少なくとも基部は河成堆積物に見えたことです。紀伊半島や四国の海岸に見慣れていた私には珍しく,未知の東北三陸海岸の一面を見たような気がしました。同じ海洋プレートといっても,太平洋P.とフィリピン海P.の日本列島との関係の違いが感じられました。

 肝心の田老の報告が終わらないうちに時間が経ち眠くなってきましたので,今日はここまでで打ち止めにします。続きはまた暇なときに行います。
                   River













2011年4月26日火曜日

イメージと観光

今日はいつもの更新とはちがって、すこし部活から離れた話題を取り上げたいと思います。
私が今日(暦の上では昨日か)受けた講義の覚書のようなものです。
チラシの裏にでも書いてろ、と部員に言われるかもしれませんが、結構印象に残ったので書いちゃいます。


皆さんは先入観を持たずに観光体験をしたことがあるでしょうか?

観光地に行くときには、少なからずその土地に対するイメージ、先入観があるものです。
たとえば、奈良にきた観光客でいえば、ある人は「東大寺」、ある人は「春日大社」、またある人は「シカ」
…とそれぞれの人なりの「奈良に対する固定概念」をもって観光しにくるのがほとんどでしょう。
観光業者ももちろん、観光地の「観光イメージ」を大きく打ち出した観光雑誌やパンフレットなどをメディアに載せて世に出しています。
情報社会を生きる世の中では、こういった観光イメージもとに「いかに自分が楽しめるか」を考えて生きるのことが賢いやり方かもしれません。

しかし、ほとんどの観光客の見ている観光地は、「観光地のただの一部に過ぎない」ことが多いようです。
たとえば「東大寺に来て、大仏だけ見てさっさと帰ってしまう」みたいな。
ひとつの観光地(の一部)だけをみて、その周囲のものを見回していく人間は少ないそうです。
東大寺観光したあと、旅の写真を見てみると、写真には大仏と自分だけしか写っていなかった……!じゃ寂しくないですか?

「東大寺の大仏を見に行く」という観光イメージによる動機付けが、このような現象を生むそうです。
また、観光イメージが強すぎるせいで、土地の住民のイメージ・生活様式に誤った先入観が生じることも多いそうです。


では、イメージによらない観光とはなんなのでしょう。
ぶらり途中下車の旅?深夜特急?
前者は綿密なうちあわs…、そして後者はバックパッカーという非日常を楽しむノンフィクションという側面があります。

否応なしに観光イメージが飛び交う時代。
いま、私たちに日常でできるイメージにとらわれない観光は何なのだろう…




観光情報が何も書かれていない地形図をもとにブラブラ歩くことぐらいなのかな。

文責:George

2011年4月18日月曜日

新歓巡検in大和郡山市

sagara1020です。

4月17日日曜日に、新入生歓迎巡検を行いました。
今年入部した一回生は全部でなんと8人!!

それに、三回生から新しく入部したT君を含め歓迎の巡検を行いました。

場所は、金魚で有名な大和郡山市です。

巡検のながれ

 大和西大寺駅→近鉄郡山駅→郡山城跡→金魚池→商店街→大和郡山市役所→稗田環濠集落→JR郡山駅

 以下に巡検や発表の様子を記します。


より大きな地図で 新歓巡検in大和郡山市 を表示
(金魚池や稗田環濠集落は拡大してご覧ください。)

近鉄郡山駅にあつまる部員

 郡山駅で一回生と合流し、巡検を開始。
近々行われる選挙の影響で駅前では演説が行われていました。
演説のおかげで駅周辺での、説明は演説との戦いのようでした。

郡山駅から、かつて栄華を誇っていたSEIYUを経由し、郡山城跡へ。

郡山城の石垣

郡山城の門

郡山城跡は石垣で有名な城跡で、昔の石垣が多く残されています。
大規模な石垣の造成のため、石不足になり地蔵や灯篭も石垣の材料とされています。
地形からみると、沖積体である大和盆地では、石垣の材料となるような石はなく、石不足になったというのも納得できます。
石垣に使われている石は、春日神社の水谷川上流部から切り出していたそうですが、現在の地形図から、水谷川を発見することができず、どこから運ばれているかはよくわかりませんでした。
また、地蔵が石垣に組み込まれているのには、この城の造営に関わった織田信長が影響しており、他宗教へのみせしめではないかという説もあるようです。
石垣の材料とされている灯篭の笠の部分

郡山城の堀

次に、郡山城で昼食をとり、立命館大学の地理学研究会のNさんとKさんと合流し郡山城から金魚池へ向かう。
大和郡山市の金魚の養殖は、秋田の庄内と並んで全国的にも有名です。
市内には、気軽に金魚すくいを楽しめる施設も数ヶ所あり、金魚といったら大和郡山市という雰囲気があります。
金魚の出荷が好調だったのは、バブル以前でした。バブル崩壊後は後継者不足により出荷量も減りつつあるようです。市もこの現状を深く受け止め何らかの対策をしているという説明を聞きました。

 金魚池
 金魚池に近づいて撮影

高級魚は別の生簀で飼育

金魚をイメージしたもの

次に、商店街、市役所をまわって、稗田環濠集落を訪れました。
環濠集落とは、集落の回りに水堀をつくり敵の襲来に備えていた集落のことをいいます。
この水堀が今でも残っているのはめずらしく、貴重な集落といえます。
そして、整備されていない環濠と整備されている環濠がはっきりと分かれているというのもめずらしいと思います。
また、戦乱が落ち着いていた時代(江戸時代以降)にも環濠は残されていたということから、環濠には自衛の役割以外になにかあったのではないかという疑問も生まれました。

 整備されていない環濠

整備された環濠

このようなながれで巡検をし、最後は(なぜか)一本締めで無事終わりました。
一回生にとって最初の巡検はどうだったでしょうか?
楽しんでいただけたら嬉しいです。

また、立命館大学の皆様、当大学の巡検に参加していただきありがとうございました。



2011年4月13日水曜日

こちらでは初めまして。某卒業生です。

昨年度に某Uゼミのゼミ長からアカウントをいただきましたので、
投稿させていただきます。


この春から新社会人となり、
ようやく長き(7年)に亘った大学生活に別れを告げることができました。

これもひとえに奈良大学の皆様のおかげです。

ありがとうございました。


 さて、東日本の震災の話です。

離れたここ東京でも、ほぼ毎日体で感じるほどの揺れが1度はあります。

関西でいたときには、
やはり少々他人事のように考えていた部分があるように思います。

そちらでもいろいろと復興のお手伝いをされているようですので、
自分たちでできる範囲でいろいろとやってみてください。


もう引退した身ですので、とやかくは言いませんので、
とりあえず、各自健康に、楽しくやっていてくれればそれに越したことはありません。


また一部の方々とは嫌でも出会うときがあるでしょうから、
その時は宜しくお願いしますねw


あえて誰かは伏せておきますw
わかった人は、メールをくれると適当に返信します。
(携帯におくってね)


P.S.
もらうものをもらったら、送りますね。

2011年4月11日月曜日

お!!花見

sagara1020です。

地理研では今年もお花見をしました。
新入生もまじえて楽しい時間を過ごしました。


より大きな地図で 平城宮跡 を表示

去年の遷都1300年祭のメイン会場となった平城宮跡です。
平城京の歴史はおいておいて地理的な小ネタをひとつ紹介します。


平城京は、沖積平野といわれる低地に位置しています。
低く平坦な地面は区画整備がしやすいだけでなく、水の集まる低地という意味で交易の中心となり平城京に発展をもたらしました。しかし、その半面で、水がたまりやすく、抜けにくいという構造上、京内に汚物がたまり疫病が蔓延するということもしばしば起こったようです。都市の華やかな面はよくとりあげられるがこういったマイナスな面はあまりとりあげられません。現在の日本史の教科書には政治的な内容が重視されていると思います。しかし、背景には地理的要因がほとんどの事象に関わっていると思います。今の社会科教育は、答えを教えているだけというイメージが強いです。答えを覚えるよりも、「どうやってその答えにたどりついたのか」という過程の部分を深く知る必要があると思います。その考え方が、将来「どうやったら望む結果にたどりつけるか」の答えを導くキーになるはずです。歴史上の事件や人物を覚えるためのという形の勉強であるならば、将来役に立ちません。歴史上の事件や人物を構成する要素の背景を考え、それを自分なりの形にアレンジをし実践する力をつけるために勉強をしてほしいなと思います。
(前置きが長いのでこれくらいに、、、。)





現在までに入部してくれた新入生は6人。
西日本出身者が多数という今までどおりの構図は変わりませんが、他府県の人間がたくさんいることで毎年のように方言の話題で盛りあがりますね。

地理研は、いつでも部員を募集しているので興味のある方は、ぜひBOX(H106)までいらしてください。入部の条件は、これといってありませんので、誰でも気軽にお越しください。地理学科でなくとも、奈良大学の学生でなくても、一般的に学生といわれる年齢でなくても、日本国籍でなくても、かまいません。もっといったら地理に興味がなくても構いません。これから活動していく過程で地理好きにさせる自信があります。大学は、もっと開かれたところであるべきです。現在の状況がベストだと思ってしまったらそこで人の成長は止まってしまうのではないでしょうか?団体も然りです。常に上をめざし高めあっていく団体を目指したいです。今年も一年忙しくなると思いますがみんなで頑張りましょう。

ではでは

2011年4月5日火曜日

新歓巡検下見と関地連ミーティング

 先日(4/3(日)),標記の集まりに参加しました。

 今月の29日(金,昭和の日)に開かれる新入生歓迎(以下,新歓)巡検は,大和郡山市です。
目的はあくまでも新入生の歓迎ですので,内容はそうガッツリしたものではなく,地理学研究会(以下,地理研)の活動紹介を主として,次の6点を意識して歩きます。

1.郡山城
2.城下町の町割り
3.金魚の養殖とため池
4.商店街の変化
5.環濠集落
6.郡山市(大和盆地)の地形

 以上,下見では,大まかなルートと所要時間の確認を行ってきました。 

 新入生は何の準備も必要ありませんので,後日このブログでも告知される時間・場所に身ひとつで集まってください(もちろん,未入会で飛び入り参加も可)。歩く距離も5㎞程度です。
今年は他大学からの参加も予定されていますので,にぎやかな巡検になりそうです。

 関地連の集会は,烏丸御池の和民で18:30から開かれました。参加者は,立命館,京都,奈良とも各3名づつでした。(追手門大学は残念ながら都合のため不参加でした。)
 
 主な議題は,次の3点でした。
1.各大学の春季行事の確認
2.今後の関地連の活動指針
 a. ミーティングの定例化
 b. 合同研究会の新設
 c. 各大学の行事への相互参加(特に巡検)
 d. 関地連組織の強化と拡大(ホームページの開設,参加校(特に関東の大学)の拡大)
3.次回合同研究会のテーマと日程

 以上の議案は各大学で議論・評決の上,次回ミーティングで決定される手筈です。ただし,初回の合同研究会は日程上の問題から,今回のミーティングで決定されました。
 テーマは『観光とはなにか』です。観光の事例研究ではなく,観光そのものの定義を議論することになりました。(念のために申し添えますが,テーマについては私は一切口出ししていません)。

 また,2.bの合同研究会について,巡検を伴う地域研究を合同で行い,その成果を社会に還元できないかという建設的な提案が当大学の参加者から出されましたが,とりあえず足元を固めてステップを踏もうという結論になったことも申し添えます。
                                                         River