2011年3月30日水曜日

旅立ちの日に

3月19日39期の地理学研究会員が卒部いたしました。

卒業式当日:

新たなる旅立ちの門出に僕らからの思い出スライドの上映や記念品などのサプライズ会をしました。
明るい笑いが出る場面やしんみりする場面など様々でしたが、先輩たちに喜んでいただけたようでうれしいです。





先輩たちへ、
ご卒部おめでとうございます。
先輩たちには様々なことを教えていただき深く感謝しております。
皆さんと過ごした日々は、忘れられないでしょう。
それぐらい、楽しい思いをさせていただきました。
これからは、私たちが後輩を引っ張っていく世代となりました。
月日が経つのは、早いものですね。
私たちが見てきた背中よりもさらに、大きな背中を見せ後輩たちを引っ張っていけるように頑張ります。
先輩たちもそれぞれのフィールドで活躍してください。
世間はつらく厳しいものと聞いております。
そういった場所では、心が休まる場所がないかもしれません。
もし、見つからないのであればぜひ、地理研へ立ち寄ってください。
大歓迎いたします。
お体に気をつけて無理をせぬよう、でも精いっぱい頑張ってください。



2011年3月6日日曜日

いよいよ本番、出張居酒屋です。



sagara1020です。

前回の続きです。

報告会のあと、佐用町の小規模集落へいきました。
道路の幅員は狭く、街灯もほとんどないような道の奥に集落が立地していました。
会場は海内地区の集会場です。

兵庫県における佐用町の位置



佐用町で訪れた場所と起伏の概観図


海内地区周辺図(集落立地箇所の標高は約250m、佐用市街地は約60m)



会場の写真(右の建物が会場、左に見えるのが集落)



以前から出張居酒屋は地元住民からの要望があったらしく多くの人が訪れました。

小規模集落では、周辺に居酒屋や料理店がありません。
お酒が楽しめる場所までは、自動車がなければ行くことはできないという状況です。
当然ながら、お酒を飲めば運転することはできません。

市街地では、水害の影響や過疎の影響をうけ商店街の店が衰退しています。

そこで、両方の要望により出張居酒屋の計画が企画されました。

両方に需要があり、両方に利益がある。
これが地域の活性化につながるというわけです。


実際の出張居酒屋では、住民の中に学生がまざって一緒に話をするということをしました。
小規模集落では、お年寄りしかいないという、イメージが強かったのですが意外に子供が来ていたので驚きました。

いろいろな世代の人と交流し、集落に対する思いや自分の昔の思いでなどいろいろなことを聞きました。
小規模集落では、移動販売にたより、外の地域にでることは少ないのでよそ者と関わることはあまりないのかもしれません。
特に、お年寄りはそういう人が多いでしょう。

僕と会話をしていた、ある老人は帰り際に僕の手を強く握って「ありがとう」といってくれました。
あの時のことは、絶対に忘れないとおもいます。
すごく嬉しかったし、来てよかったと思いました。
地域のネットワークによそ者である僕らみたいな学生が関わることの必要性がわかりました。
学生でも役に立てるし、需要が求められてる。
学生はただ勉強していたって意味がない。それ以上のことをしなくてはいけない。

集落の人たちの温かさに触れることで、自分を見つめなおす良いきっかけとなりました。

次回は水害についての報告をしたいとおもいます。

2011年3月5日土曜日

奈良県宇陀市松山地区 その1

れきしちり太です。
今回は下見に行って私が思ったことを書きます。
概要などは巡検にいってからにします。大まかな概要は書きますが・・・。

3月11日(金)に予定している地理研顧問主催の「宇陀市松山地区巡検」の下見に行ってきました。
メンバーは地理研部員二回生(僕を含めて)4人で行きました。

アクセスは近鉄大和西大寺から榛原駅まで電車で、榛原駅からはバスに乗っていきます。
だいたい1時間10分程度かかります。

訪れてまず、「本当に観光地なのか?」と思った。
国道166号線と国道370号線の交わる場所に道の駅があるが、その周りはこれといったものがない。
そして、どこからが保存地区なのかどこから城下町なのかがわからなかった。
「地図を見たらわかる」と言われたらお終いだが、普通は案内板などがあると思う。

案内板などはメジャーな観光地しかないのか?


二万五千分の一「古市場」の拡大図


松山地区は商屋町として発展した旧城下町で、地酒や醤油が有名である。
そして、驚いたのが森野旧薬園という薬草だけを育てている場所があった。
なぜ、この場所で薬草を育てていたのか?その続きはその2で・・・・。
平成18(2006)年7月5日に「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」として
伝統的建造物群保存地区に制定されました。確かに歴史的な建造物を多く見ることができた。


ここの醤油はリピーターが多い。



ここは地酒のお店

この家は昔、医者の家だったらしく、今は観光案内所である。


森野旧薬園の入り口

道の駅「宇陀路大宇陀」
町をぶらぶら歩いていたら案内板があった!!!!

案内板!!しかし・・・・。
しかし!!場所が悪い・・・・・。

上の写真を拡大してみた
 上の写真を見たらわかるように現在地とかかれたところにある。
しかし、観光客のほとんどがバスを利用し、最寄のバス停(南西にある道の駅)で降りる。
そして、地図をみて大手門跡に向かって歩き、宇陀川を渡り大手門跡の交差点で
左か右に曲がると思う。私たちが行ったときもそうだった。
左に曲がれば観光案内所がある。ここに案内板を置くべきではなのか?

そこまで議論?するないようではないのでここでやめときます・・・・。


その1はこのへんで・・・。
その2は薬草中心で・・・・。

では!!

2011年3月4日金曜日

田辺市山間部下見その2

前回からの続き


本宮中心部もほどほどに少し北上して奈良県との県境付近へ



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伏拝地区

本宮町伏拝(ふじおがみ)地区

熊野古道の参拝者がここまできて初めて遠くに熊野本宮大社を見て、その有難さに伏して拝んだとのことからこの名がついたとのこと。
山の麓に集落があり、段々畑も見えます。

ここを少し北上すればもう奈良県です。

熊野川に掛る橋

本宮町内の熊野川流域全体に言えることですが、川の対岸を結ぶ橋がたくさん掛っています。
地域を結ぶ要です。

この付近の大居地区や対岸の上切畑や切原地区は河岸段丘上(?)のほとんどが畑地となっています。
何を栽培しているかはまた今度調べて来ます。



明るいうちに湯峯(ゆのみね)地区に向かうことに。

湯峯への道のり

※安全を考慮して広い所で撮影。
しかしそこに向かうまでの道が走りにくい
舗装はされているものの狭い上に見通しの悪いカーブばかり。
対向車が来たら冷や汗ものです。
しかしここをバスが走っているというのだからすごい。

そんなこんなで湯峯に到着。



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湯峯地区
 温泉街です。
ほんのりと温泉特有の硫黄のにおいがします。

実は湯峯温泉は開湯以来1800年を超える日本最古の湯の一つです。

アツアツの源泉
秘境の温泉場のような感じ。
この地区のほとんどの建物が民宿です。
写真の源泉湯筒からは92℃の高温の湯が湧き出ています。

川の底がすこし灰色っぽいのは温泉のアルカリのせいでしょうか?


その昔、小栗判官(おぐりほうがん)がこの湯に漬かって蘇生したという伝説もあるそうです。
その湯が世界遺産にもなっています。


しかしなんでこんなところから温泉が出るのでしょうかね?
調べてみるのも面白そうです。
それ以前に何がきっかけでこんな山の中に温泉が出るのを発見したのやら…。

今回は行きませんでしたが、本宮町内にはあと2か所、川湯温泉と渡瀬(わたらせ)温泉という割と有名な温泉地があります。
川湯温泉は河原から温泉が湧き出ており、河原を掘って露天風呂、なんて粋なことができます。
夏は水遊びをしながら温泉に浸る…なんてことも。
渡瀬温泉は本宮の3か所の温泉場の中で最もリゾート色が強く華やかな場所だそうです。

温泉卵が食べたい気分を抑えつつ、車を次の集落へと走らせる。


下湯川(しもゆかわ?)

下湯川地区
先ほどの湯峯地区のつい隣ではありますが、雰囲気が変わります。
いかにも山村という感じ。
小学校とみられる建物がありましたが、既に廃校になっているようです。


今回、私個人が本宮町内で回った場所は以上です。

先月の下見巡見で西原地区を歩いた時、

「こんな山の中にどうして集落が…。」

などと思っていましたが、本宮はそれどころではありませんでした。

昔は熊野古道や林業で栄えたからこそ、人が住み始めて今に至っているのでしょうが、現状はどうなのでしょうか。
2004年に熊野古道が世界遺産に登録され、この地域は世間から注目されました。
これは本宮町にどのような影響を与えたのか。
観光客が増えるのは当たり前として、他はどうなのでしょうか。
そして限界集落は…?
様々な視点で見てみると、とことん面白い地域だと思います。

個人的に、調査目的ではなく、ぜひとも観光でも訪れてみたいですね。


(おまけ)
歩き回ってはいませんが途中で撮影した写真を掲載します。

実は本宮に行く過程で大塔村や中辺路町を経由します。
本当は降りて調査を行いたかったのですが、今回は時間の都合上省略しました。

しかしながら、車を止めて僅かながらですが写真を撮りましたので、雰囲気を少しだけでもつかんでいただければと…。

本宮町檜葉(ひば?)

中辺路町近露

中辺路町福定

中辺路町福定その2

本当は中辺路町の中心集落にも降りて少しまわろうかと思っていたのですが、道路工事で駐車場の入口への侵入が困難でしたのでやめました。

本宮にももう一度訪れる必要性がありますが、中辺路町や大塔村、そして龍神村にも訪れて、田辺市全体の雰囲気を知っておきたいところです。


文章作成:ubamegashi2009

佐用町で出張居酒屋に参加してきました。

sagara1020です。

さかのぼること2週間ほど前、関西学院大学大学院のS氏から僕のもとへ一通のメールが、、、。
内容は、「岡山県佐用町の小規模集落の活性化プロジェクトとして、出張居酒屋をします。
興味のある学生がおられましたら、一緒にしませんか?」というものである。

僕は、なんでもやりたい派の人間なので、「ぜひ、やりましょう」と即答しました。
また、奈良大学から何人か連れてきてほしいとのことだったので、ゼミや地理研メンバーに連絡し参加者を募集し、いざ佐用町へ。

佐用町基本データ

人口:19,250人(2011年現在)
面積:307.51km²
人口密度:62.6人/km²

3月2日

近鉄大和西大寺駅から約3時間30分かけ、JR佐用駅に到着!!


JR佐用駅

佐用の商店街は2009年8月9日の水害により、大きな被害を受けました。
僕の中では、水害のあった町という印象が強く、水害の爪痕もしっかりと残っていました。
水害に関しては、また次回報告するので省略します。

商店街を見ての感想は、規模も小さくいわゆる田舎の商店街だなと思いました。
この疲弊した商店街と買い物難民とよばれる方の相互利益を目的として考えられたのが、今回の出張居酒屋という企画らしいです。

佐用商店街


待ち合わせ時間となり、S氏と合流し、関西学院大学、美作大学の学生スタッフと3人の先生方との意見交流の会に参加しました。

そこで、学生スタッフの方の活動を教えていただいたり、先生方の意見をお聞きしたりしました。
まちおこしには「若者」「バカ者」「よそ者」の3要素が必要であり、特に「よそ者」の視点が重要であることを学びました。

僕はかねてから疑問に思っていた、「活性化とは何か?」「活性化のあり方とは何か?」「どこまでいったら活性化かしたのか?」という疑問を彼らに質問しました。

回答は、活性化を判断する指標は様々あるが、満足度などの心理的な面は計ることができない。活動をしている当事者側もそれを模索している。
というものでした。

正直よくわからず、もやもやしたものが残ったので今回この場で考えてみたいとおもいます。

例えば、あるプロジェクトが大成功し、過疎で悩んでいたある集落に何百人(そのプロジェクトを何年間か続けた結果として)も人口が増加した。
これは、活性化であるのか?
人口が増え、若者が増えたことは活性化なのか?

町は人口増加によって豊になった。しかしそうなったら、昔ながらの生活スタイルや集落景観は消滅するのではないだろうか。
文化的に重要な面を考慮せずただ、活性化というのでは地域を扱う我々からしたらもったいない気がする。

今、日本各地ではいろいろなまちおこしイベントが行われているが、これで危惧されるのは地域が本来持つ空間が改変されて第3者に伝わってしまうことであると思う。
そうなってしまうと、その地域が構築してきたものの正当性がなくなってしまう。

だが、逆にこれにこだわり過ぎると、財力のない地域が衰退して消滅する過程を食い止めることができない。
地域にはそれぞれの独自性がある。この独自性というのは、その地域の先祖が代々構築してきた貴重な財産でもある。

その貴重なものを守るためには、まちおこしなどによる対策なども必要となってくるが、やりすぎたらそれを変えてしまうことになる。

そこで、提案されるのが活性化を感覚的に把握するのみでなく定量的に把握する手法の開発である。
定量的に活性化度を把握できれば、ある一定をこえるときに歯止めをかけることができるのではないだろうかという意見を持った。
具体的に何をどうはかればいいのかであったり、そのデータから考えられる活性化の定義の根本の見直しなどはこれからの僕の課題とする。


前置きが長くなったので続きは、次回に報告します。(次回は、出張居酒屋についてです。)

2011年3月3日木曜日

田辺市山間部下見

どうも、地理学研究会です。

先月の下見合宿では市街地周辺の巡見に留まりましたが、
和歌山県内出身の部員が、個人的に山間部(主に本宮町)巡見に行ってきました。


※本宮町を含め市内の旧市町村の地図が手元にないので、今後作成次第追加します。


調査日
2011年3月3日(木)
天候 晴天
調査地:田辺市本宮町/中辺路町

本宮への道のり


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現在は田辺市にある本宮町ですが、田辺の市街地から向かうと大回りになるので、田辺市の南にある上富田町の岩崎から田辺市の奥地に向かう。
本来なら新宮市経由のほうが早いのですが、道路の下見ってことで…。


この道のりを1時間30分かけて本宮へ。
しかしこの場所にくるまでに1時間以上運転していたので、本宮に到着した時点でかなり疲労困憊。


閑話休題、本宮の巡見内容に移ろう。

旧本宮町データ(平成17年度国勢調査による)
人口 3,570人
面積 204.06㎢
人口密度 17.5人/㎢


本宮町の町並み


熊野本宮大社


個人的に本宮と言えば熊野本宮大社です。
2004年に紀伊山地の霊場と参詣道のひとつとして、ユネスコ世界遺産に登録され
平日ながら、それなりに観光客がいました。

少しお参りをした後、町内散策。


田辺市役所 本宮行政局
割と新しい建物。
この建物の西側の斜面には住宅が立ち並んでいます。


大鳥居

大迫力の大鳥居(高さ約33m)です。

もう少しすれば鳥居の足元にある桜がきれいになると思います。
ちなみに周りに見える畑は赤紫蘇(アカシソ)畑です。
ですが、この時期は栽培していないようです。

世界遺産 熊野本宮館
2009年の夏に開館したそうです。
時間がなかったので館内には入らなかったのですが、どうやら施設内には図書館があったようです。
パンフレットや資料もあったようなので入るべきだった…。


小規模ながら商店(薬局・食品店)やガソリンスタンドがあるので、生活する上で必要なものはこの地区で手に入れられるようです。

ちなみに、ホームセンターもあるのですが…、



街並みに合わせたのか、木造を意識した外装になっています。


熊野川(新宮川)
この川の下流(河口)は新宮市になります。
昔はこの付近の地域から筏流しによって下流の新宮に向かって木材が運ばれていました。
それを考えると合併されて現在は田辺市となっていますが、本来は新宮との関わりが強い地域なはずなんですが…。

河川の水系や地域のつながりについても今後色々と調べてみたいですね。

ちなみに写真奥に見える山を超えれば奈良県の十津川村です(多分)。


まだ少しだけ続きがあるのですが、それはまた後日追加します。
まとめとかも次に書きます。


文章作成:ubamegashi2009