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2013年6月12日水曜日

新歓巡検を行いました!

先日の6月9日(日)に新歓巡検を奈良市内で行いました。

巡検ルートは
東大寺→二月堂→春日大社→奈良公園→猿沢池→奈良町

というルートで、昨年度の関地連巡検の中身を縮小・追加させたものになりました。

巡検には京都大学地理学研究会さんと立命館大学地理学研究会さんにも参加していただき、意見交換や近況報告の場にもなりました。


残念ながら今年度は新入部員が未だ入っていない状況ではありますが、これからもよろしくお願いいたします。


写真1 二月堂からの眺め。
曇っていたため巡検日和ではありましたが、見通しはいまいちです。

写真2 三笠山付近にいた鹿。角の生え方で年齢が分かります。写真の鹿は2歳です。


写真3 巡検参加ありがとうございました!

写真撮影・文章:N

2013年4月27日土曜日

新歓巡検の下見

 4/20(日)に新歓巡検の下見としてならまち周辺及び奈良公園を巡検しました。

近鉄奈良駅、行基像には屋根の取り付け工事が行われ完成間間近です。この日は天候もよく、気温も程よい巡検日和となりました。
 奈良駅を出発し、興福寺、猿沢池、ならまち格子の家といわゆる“ならまち”を歩きます。その後春日大社、二月堂、正倉院、東大寺大仏殿と奈良公園内をまわり近鉄奈良駅に戻ります。
2012年度の関地連巡検の縮小版のような形ですが、新入生でも楽しめるようにコースを設定しました。
写真1:鹿せんべいを食べる鹿

写真2:道路を渡る鹿
写真1の様に鹿せんべいを食べさせる光景は奈良公園に足を向ければよく見かける光景ですが、鹿と人間の共存に関してはさまざまな問題があるように感じられます。写真2の様に道路を渡り交通障害を引き起こす原因になっているのも事実です。

写真3:ならまち
“ならまち”といいますと長屋が有名だと思います。もちろん保存されている長屋も重要ですが、景観保存の点にも目を向けてもらいたいと思います。電柱の色を単なるグレーでなく赤茶色にすることで古い建物に溶け込むようにされています。

 最後に二月堂からの景色です。パノラマ合成で製作しました。
写真4:二月堂から奈良市内を望む
二月堂、由来は旧暦の二月の「お水取り(修二会)」からきていますが、この行事を当人はまだ見たことがなく、来年には見てみたいと早くも意気込んでおります。


 奈良大学地理学研究会には何名か新入生が見学に来てくれましたが、入部にはいたらずGW明けに期待している次第です。
 
文責及び写真撮影:Nakazi


2013年3月4日月曜日

春合宿の写真と解説

2/27~3/2日まで小豆島に春合宿に行ってきました。
調査内容の個人的な目標はまだ決まってはいませんので軽く写真等をあげておきます。

写真①船上から眺める朝日
ジャンボフェリーの船上から撮影。坂手港に入る前です。6時頃ですね。
写真②寒霞渓
写真①の寒霞渓は小豆島の一番の名所・観光地でしょうか。今回の巡検では乗りませんでしたがロープウェーもあり紅雲亭から上がることも可能です。

あまり名所ばかり紹介していてはただの観光ブログになりかねないので個人で回ってみたところを。
写真③大角鼻灯台
写真③の大角鼻灯台。小豆島に2つある灯台の片方です。特に見どころはないですが海難の多発する海域であり交通の要です。この日はこの後に紹介する内海ダム再開発と沖之島がメインでしたが午後からはあいにくの雨。ずぶぬれになりながら原付で周りました。

写真④内海ダム再開発
写真④は内海ダムの工事の様子。たびたび訪れる水枯渇と雨による土砂災害を防止するために新しく建設されているものです。かなりの大規模工事のようです。

写真⑤沖之島
写真⑥沖之島のお墓
写真⑤沖之島は本島の100m沖にある小島です。人口60人で子供は今年中学校を卒業する子が一人とです。島には自動販売機も含めて飲食料を売るようなところはなく、公共施設もポストが一つです。また、島に渡るための渡船も一時間に一便程度でした。 若干気になったのは島の最高地点にあるお墓です。新しく整備されたように見えます。島の人口は減少のなか(ここ5年で19人減少)新しく整備しなければならないのでしょうか。
写真⑥坂手のマルキン醤油工場
坂手港からほど近い位置にあるマルキン醤油の工場です。道路をまたいで輸送用のパイプが伸びているのに萌えるのは私だけでしょうか?
写真⑦太陽の丘ピースパーク廃墟
寒霞渓から少しのところにある施設の廃墟?です。帰ってきてから調べてみたのですが1971年(S46年)に開園しオリーブ神殿なるものを併設していたようで2004年にレストランが休業しているので半分廃墟で間違いなさそうです。
若干バブル期よりも早いですのでリゾート法とは関係なさそうですが…

以上で報告を終わります。(Nakazi-)


2013年3月3日日曜日

 春合宿に参加してきました。と言いましても,私は個人的な都合で皆より一日早く入島し,二日間だけの短い巡検になってしまいました。それでも二日目の早朝には坂手港で皆を迎えることができ,少しは責任を果たせたかと思っています。
さて,コメントはさて置き,取り急ぎ,印象に残った風景をいくつかアップします。
 
主な巡検ルート(Yahoo地図Japan(ZWNRIN)から引用)

写真1は坂手港に入港するジャンボフェリーのようすです。最上階のデッキに立っている5名が我々のメンバーです。この瞬間がこれから始まる年間調査の本格的なスタートになりますので,毎年のことですが,ちょっと身震いするような気持ちのいい緊張感が走る瞬間です。

写真1.神戸三宮(01:00)-高松―小豆島坂手(07:10)便のジャンボフェリー

一昨年,われわれが高松で合宿を張ったとき,備讃諸島で瀬戸内海国際芸術祭が開かれていましたが,今年もまるで我々を待っていたかのように芸術祭が開かれます(写真2)。一昨年は30万人の見込み観光客だったところに95万人の参加者があり,2匹目のドジョウではないですが,大きな期待が集まっています。


写真2. タラップを降りる部員たちを迎える『瀬戸内国際芸術祭2013』の垂幕
  では,今回の主な巡検地を紹介します。

 私は仮のテーマを5つ持って参加しました。その1つが小豆島で最も有名な地場産業である醤油の醸造です。写真3は苗羽(のうま)地区の俯瞰です。あの有名なマルキン醤油は小豆島にあったんですね。企業城下町といっても差し支えないでしょう。町中が醤油の香りに包まれていました。醤油大好き人間の私にはたまりません。


写真3.丸金(マルキン)醤油の工場と苗羽地区のようす

 2つ目は,1974年と1976年に襲われた豪雨災害のその後のようすです。小豆島全体ではこの2つの災害で68名の犠牲者が出てしまいました。今回は1976年に大きな被害を出した橘地区を訪れました。現在のようすが写真4です。
写真4. 橘地区の復興住宅群と千羽岳
 
 ちなみに上流の砂防ダムのようすも見てきました。ブッシュをかき分けてダムの基部を確認していますと,たまたま通りかかった小豆島町の職員の方が不審に思われたのか,声をかけていただくことができ,現場を前にして興味深い話を聞くことができました。その詳しい内容は報告書に回します。ダムは3基確認でき(写真5),小さな堰堤は数えられないほどありました。

写真5. 最下流の砂防ダムと千羽岳
 
3つ目は,寒霞渓周辺です。ここは観光(写真6)もありますが,地形・地質面からと植生の垂直分布(写真7)について注意を払いながら巡りました。

写真6. 美しの原高原からみた寒霞渓の風景
  写真6.と7.だけではよくわかりませんが,気温や日照時間の気候以外に,地層によっても植生分布が変化しているようです。もちろん,地表水と地下水の影響も見られました。
一点不思議なのは,伝法川の源流水が白濁していたことです。これは夏にぜひ調べてみようと思っています。
 
 
写真7. 伝法川流域(中山地区)の山腹の垂直植生分布
 
4つ目は棚田100選(写真8)に選ばれている中山地区の土地利用と水利です。ここには農村歌舞伎の演舞場(写真9)がありました。また,弘法大師由来の湯舟寺という名水100選に選ばれた源泉をもつ寺がありました。
農村歌舞伎と棚田と水信仰との強いつながりを感じました。

写真8. 棚田100選に選ばれた中山地区の棚田のようす
写真9を撮影している後ろ側に神社があるのですが,小豆島の鎮守の森では照葉広葉樹のウバメガシが重用されています。
ここには昭和天皇が行幸されたそうでして,写真右側の建物に天皇が玉座された椅子が保存されていました。
写真9. 中山地区の農村歌舞伎演舞場
 
最後は冒頭に記した瀬戸内芸術祭です。この芸術祭には決まった会場というのはありませんので,島全体が会場となります。ちなみに棚田の中山地区では写真10のようなモニュメントが建設中でしたし,坂手港では写真11のような壁画を見ることができました。

写真10. 瀬戸内国際芸術祭にエントリーされた竹を使ったオブジェ(製作中)
 この壁画の良さは私には伝わってきませんでした。大作であることはわかりますけど。
写真11. 新築されている坂手港施設の壁画

本当はもう一つ,もっとも大切なテーマを持っているんですが,それを紹介しだすとキリがありませんのでカットです。

以上で紹介を終わります。(River)

2012年4月20日金曜日

新歓巡検



新入生歓迎の時期も終わり一段落着いたところで、いよいよ新年度のちりけん初巡検である新歓巡検が行われました。今年は新入生も数人入り、ひと安心と言ったところだと思われます。

さて、今回は新歓巡検について報告します。今年は奈良まちをテーマに巡検を執り行うこととなりました。主な経路は西大寺駅前から出発→平城宮跡→法華寺→海龍王寺→東向き商店街→猿沢池→興福寺→東大寺となりました。各地点では担当者による説明がもうけられ、新入生・現役生に奈良について一部ではありますが親しみを持ってもらえるようにしてまいりました。新入生にとっては初巡検となる今回は、私たちの活動を知ってもらえたことだと思われます。

巡検の中身についてですが、私が担当した興福寺を説明させていただきます。

興福寺は南都七大寺の中で最も奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺になります。和銅三年(710)藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺(うまやさかでら)を移転したもので、藤原氏の氏寺(氏族の氏上・族長が自身あるいは一族の現世安穏と故人の菩提を祈るために建立した寺)として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大した。また、神仏習合の影響も受け、春日大社と一体化し、時には僧兵を従えて朝廷へ強訴に及ぶまでになりました。

治承四年(1180)源平の争乱の際に平家に焼き討ちされ、ほとんどのお堂が焼失しますが、鎌倉時代に移り変わってからすぐに再建されました。現在の堂塔は、鎌倉以降の建物を一部残し、広い境内に中金堂・東金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建て並び、仏教彫刻類は天平時代(8世紀初~8世紀末)や鎌倉時代の名品を数多く保存しています。

今回の新歓巡検では、歴史的分野に偏りがちなものが多くありましたが、それも知識の幅を広げていくこととして見ていこうかと思います。私のように歴史的分野を専門とした人間が地理を踏まえて研究していくことは、なかなか難しいことも多いですが、その分やりがいがあると思います。

これから、一年間私たち地理学研究会をよろしくお願いします。(三回生 T)

2012年3月24日土曜日

春合宿の報告Part2です。
ずいぶん荒っぽいですが,海岸沖積部の報告は前日で終わりにして,今日は尾道の景観を決定づける後背山地へ向かいます。
Pic.1.尾道市街地の地形
(Garmin,MapSource)
Pic.1左部の緑色部分が千光寺公園です。
元々は千光寺の領地だったのですが,明治中期に阿波国の三木半左衛門によって公園化がはじまり,その後土地が尾道市に寄贈され,1905年に,尾道市によって公園化が完成したようです。(年代は確認していませんが,古い写真には観覧車などが写っていました)。
想像するに,明治中期に大陸との交易が盛んになるにつれ(歴史的に見て純粋な交易とはいえない一面があったかもしれませんが),全国各地から半左衛門のような豪商が尾道に集まり,尾道は第3期発展時代を迎えたのではないでしょうか。(ここでは第1期,2期については省略しますが,今も観光に活用保存されている商工会館をみるだけでも当時の隆盛がしのばれます)。これも現地点でのあてずっぽうの推測ですが,現在山腹斜面に建つ住宅は,明治以降のものが多いのではないでしょうか。
Pic,2.くさり岩の基部で記念撮影

さて,千光寺へ向かいますと,大きな花崗岩の露岩が現れます。千光寺ではめぼしい岩に名前がつけられ,これは「くさり岩」と呼ばれているようです。向かって右側が「男岩」,左側が「女岩」で,男岩の右にあるガリー(というか,チョックストーン状の岩)から登れるようになっています。ちなみに女岩の方からは,リスもない一枚岩のボルンハルトで,ボルトでもない限りおっかなくて登れそうにありませんでした。





Pic.3.男岩を背面登攀するT君
Pic.3.は部員たちの登攀のようすですが,あれっ? なんでT君は背中で登ってんの? みんな特殊能力を持ってるらしい。ちなみに私は遠慮しました。

ところで,この巨岩は千光寺の霊場(あるいは行場)であったはずですが,今は観光の対象として利用されているところが,一昨年,韓国を訪れたときに見たソウル近郊の仁王寺や太白山(テベクサン)浮石寺(プソクサ)でのようすと比較して印象的でした。(もちろん,千光寺もこの岩だけでしたが。)





 Pic.4.は千光寺から見た尾道市街地と尾道水道の景観です。
 この海と山と港町が醸し出す景観は,絵葉書に出てくるようなすばらしいものでしたが,よく考えれば極度に人工的なものであることがわかります。中世から港湾づくりと塩田開発が行われ,明治時代の絵図や写真を見ますと山も禿山でした。未確認ですが,Pic.4に見える崖の禿げた部分は採石場だったのではないでしょうか。
千光寺も今はロープウェイで手軽に登れますし,現在,尾道の景観を観光者として見るとき,いったい何を対象として見るべきなんでしょう。

観光を,純粋に余暇を楽しむものとして考えることができた頃が少しうらめしい。(River)


2012年3月22日木曜日

春合宿に参加してきました。
とりあえず,初日に全員で歩いた尾道旧市街地のようすだけ報告します。
Pic.1. 尾道駅前のようす
参加メンバーは前後で入れ替えがありましたが,計6名で行いました。こじんまりとした巡検でしたが,かえっていい雰囲気だったのではないかと感じています。班編成は行われませんでしたので,2日目からは旧1回生も含めて全員が,各自の調査目的に沿った地点に分かれて調査しました。

駅前は1990年代の再開発によって大きく変貌していました。Pic.1.はJR駅前の公園広場ですが,以前は海でした。左側から,ポートターミナル(フェリー乗り場)や,しまなみ交流館(観光物産店),大型ビジネスホテル,1~2階に地元資本の百貨店がテナントとして出店する集合住宅,などが見えます。

Pic.2. 尾道の商店街のようす
集合写真を撮影したのち全員で旧尾道市街地を見て回りました。Pic2.は尾道市街を東西に走る中心商店街で,昔の西国街道だった道です。往時のにぎわいを思わせる立派なアーケードとカラータイルでの舗装が設えられていて,いくつかの商店街組合に分かれています。また,その区画にはいずれも歴史的な意味があるようです。ただ,全国いずこも同じで,残念ながらシャッター店が散見されます。商圏の中心は新興住宅が集まる西部市街地に移動しているようです。
Pic.2.の左手に見える道標は千石寺への道を示していますが,尾道の南北の道は,幅が半間程度の路地が中心となっています。我々が見慣れた亰屋よりもさらに奥に細長い構造だったようです。(ただし歴史的な町割りは,近代以降細分化されてきている印象です。)

Pic.3.出雲街道の終点
Pic.3.は,西国街道と出雲街道との交差点だった地点です。この両街道は,尾道が海運の商都として発達するうえで,その地形のほかに重要な役割を果たしたそうです。とくに出雲街道は,中国山地のたたら製鉄と石見銀山との交通が大きかったようで,石見と尾道は4日間の時間でつながっていたということです。
 後は鉄や銀,塩などの他に,花崗岩,畳表,木材,酢などが運ばれたそうです。

 ほかに,夏巡検では個人的なテーマとして,図にあるような井戸をトレーサーとして,地形の判読を行うつもりです。現在はほとんど利用されていませんが,井戸台帳にあたってみるつもりです。幸い,水まつりが毎年盛大に開かれているということですので,地形の他に水利についても調べてみます。

 このあと千光寺に向かいましたが,長くなるのでここで中断します。
(River)