2012年12月19日水曜日

調査地選考会を行いました!

二回生のNです。

今年度も調査地選考会の時期がやってきました。
毎年、奈良大学地理学研究会では来年度の年間研究調査地を各部員(1,2回生)が1人づつ調査候補地を提案しあい、その中で来年度の調査地を決定します。
今回の調査地選考会では、以下の6市町が挙げられました。



京都府宮津市

大阪府堺市(西区・中区)

香川県小豆島町

岐阜県岐阜市

金沢県金沢市

愛媛県伊方町


調査地の紹介をする部員

開票中


各部員の発表・投票の結果・・・


香川県小豆島町に決定しました!


2012年11月12日月曜日

立命館大学地理学研究会さんの学祭展示を訪問しました!

二回生のNです。
 11月11日(日)に関西学生地理学連合(略称:関地連)の参加校である、立命館大学地理学研究会さんの学祭展示の訪問を行いました。
今年度のテーマは「徳島都市圏と商業・交通政策」ということでポスター展示と発表が主な展示となっておりました。
 GISを用いた北部3町人口増加と徳島都市圏の大型商業施設を結ぶ道路網の関係をはじめ、該当地域でのアンケートを使用した個客の流動はMGD(マイクロジオデータ)に通じるものがあり、興味わくとともにレベルの高い発表でした。
 商業・交通政策以外にも気候・文化等と幅広いポスター展示が魅力でした。
 今回の学園祭展示では本当にお疲れ様でした!


写真は関地連参加校での記念撮影(撮影は立命の長田さん)
 
 また、関地連ミーティングを短い時間ながら開くこともでき、各校の情報交換も行うことができました。今年度は奈良大学が主幹校として進行させていただきましたが、残すところ最終報告に向けての活動になりました。これからも奈良大学地理学研究会をよろしくお願いします。
 

2012年11月6日火曜日

青垣祭報告

更新が遅れてしまい申し訳ございません。二回生のNです。
11月1~3までの三日間、奈良大学では青垣祭が開かれました。

地理学研究会では展示として広島県尾道市の研究報告と、模擬店にてお好み焼きを販売しました。
今回の展示は去年に引き続き、A0サイズのポスターに各部員の研究成果を展示しました。
今年の立体模型は、昨年度の和歌山県田辺市程の大きいサイズではないものの、等高線の間隔を密にすることで、より立体的に仕上がりました。去年より細かい等高線の密度に私もふくめ、部員たちも苦労しました。
 
アンケートでは立体模型の評価が高く「よくできていた」という評価もいただきました。また、ポスター展示では「文字が多く、読みづらい」といった指摘もいただきました。来年度への反省として改善していきたいと思います。アンケートにご協力しくださった皆様に心から感謝申し上げます。

模擬店については、当初は今回の調査地にちなんで広島風のお好み焼きを販売する予定でしたが、人員・調理時間・「ここは奈良だ。」という部員の意見…などといった理由から関西風お好み焼きに変更し、300円で販売。当日はおいしいと評判で、休まる時がない三日間となりました。

今年度も青垣祭が無事終了しました。協力していただいた皆様には心から感謝申し上げます。

もうすぐ3回生から2回生への代替わりがあります。そして最終報告書の作成や来年度調査地の選考といった活動にむけて動き出していきます。今度は2回生である私たちが主体となって活動します。これからも地理学研究会をよろしくお願いいたします。

2012年10月10日水曜日


今回の日本地理学会秋季大会では,興味深い発表を2本聞くことができました。

1つは,プレート境界型地震の捉え方についてです。昨年の太平洋沖地震の見方が,ややもすると地球物理的なプレート運動に視点が集中しすぎていて,地形学的な視点が欠けているのではないかという指摘だったと思います。指摘されてみれば全くその通りで,今回の東北地方太平洋沖地震の研究発表やマスコミ報道では,プレートの跳ね上がりがどうしたとか,アスペリティがどうのとかといった,地球内部の内容に偏っていたかもしれません。海底断層の発見報道はありましたが,今回の震災では津波の被害が大きく地震の揺れによる被害が小さかったからでしょうか,私自身,関心は海水を持ち上げる巨大な作用力に向いてしまっていたかもしれません。これまでも海底地形には注意してきたつもりでしたが,海水を取っ払った,海底と陸地とを連続させた地形の変動(断層)として見ることも可能なのかもしれないと思いました。

ただ,近代科学がこれまで経験したことのない今回の巨大地震では,比較的新しい学問である地球物理学からの研究が急展開することは当然で,そこに注目が集まるのは,それが社会から求められている結果だと思います。

2つめは,ジオパークの実践と課題についてです。ジオパークは新しい観光形態ですが,それにしても,まだその定義は定まりません。近年,毎回のようにシンポジウムが組まれていますが,そのたびに微妙に異なります。今回は各地の学芸員の方たちが発表されましたが,さすがに永くエコツーリズムの実務に携われてこられた経験から,理想と現実とのギャップをどのように埋めてきたのか,また,新しい試みであるジオパークの課題について発表されていました。

これに関連して,私もエコツーリズムについてはそれなりに調べていたつもりでしたが,不覚にもエコミューゼについての検証が足りなかったことを自覚できました。箱物の博物館を脱し地域ぐるみで取り組むエコミューゼですが,地域と研究者との協働による運営の中で,専門性の担保をどう図るのかということを過小評価していました。また,エコミューゼにしてもジオツーリズムにしても究極は地域づくりであり,将来どのような地域でありたいのかという哲学を築くことがもっとも大切であるというコメントに勇気づけられました。地理学には,哲学に正面から取り組むことを社会から求められていると思います。

River

2012年8月17日金曜日

 13日(月),3週間にわたったNARASIA未来塾から戻ってきました。夏合宿に参加できなかったことには忸怩たるものがありますが,それはそれで充実した日々を送ることができました。

 日・中・韓・越の4国から38名が参加し,「東アジアの可能性」をキーワードに,学び,議論し,発表してきました。失礼ながら参加するまでは,私の勉強不足から存じ上げない先生方が多かったのですが,後から考えますとすばらしい先生方ばかりで驚きました。貴重な機会を与えていただいたことに感謝しています。

 内容は,地理,歴史,文化,社会,宗教,科学,産業,経済,金融,行政,国土計画,政治,外交ほか多岐にわたり,正直言いまして,各90分の講義と45分の質疑・討議では,いかほどのまとまった知識が得られたかは疑問です。しかし,今振り返って総括しますと,私の現在のテーマである空間と場の認識に収斂させることも可能で,これからの展開が楽しみです。未来塾からは,その視点をさまざまな分野から示してもらえました。

以上,とりあえず帰還報告まで。
(River)

 
 
 

2012年6月12日火曜日

関地連巡検


 今回は、6月3日に行われた関地連巡検について報告します。今年は奈良大が主幹校として執り行うこととなりました。

 前回の事前報告会で意見・アドバイスを受けたことで、よりよいものとなった内容を他大学のみなさんに発表させていただきました。

 今回の巡検での発表内容は・・・
・近鉄奈良駅とその周辺街の景観の変化
・JR奈良駅と周辺地域の景観変化
・奈良盆地の水文的成因
・春日断層と扇状地からみた猿沢池の立地
・法律から見る奈良公園
・奈良公園の植生
・奈良公園のシカ
とのことになりました。

 今回の巡検には、立命館大学、追手門大学、京都大学の関地連のメンバーが参加して行われ、総勢約30人となかなかの規模でした。参加していただいた皆様には感謝の言葉を送りたいと思います。

 さて、巡検の中身について報告したいと思います。巡検のルートは・・・
近鉄奈良駅→JR奈良駅→ならまち周辺散策→猿沢池→奈良市写真美術館→奈良公園→近鉄奈良駅
と、なりました。

 各地点で担当者の発表がおこなわれ、各部員が自身の調べたことをみなさんに一生懸命に伝えていました。かくいう私も、担当していた奈良公園について参加された人たちに伝わるように、不器用ながらも精一杯やらせていただきました。

 ここで巡検の発表の一部を紹介させていただきます。
 扇状地地形を考察した猿沢池の立地
 春日山と高円山の谷から流れる能登川の形成する扇状地地形が猿沢池の関係から見ると、東海自然歩道に沿って流れる能登川が山地から出てすぐに二つに分かれ白毫寺町方面と春日大社方面に分かれる。地形図から、等高線と能登川を意識して見ると扇状になっていることが確認できる。
 猿沢池に本題を移すと、池の位置としては扇端であるが、扇端は地層の粒子が比較的密になっていることから湧水地になる。土地利用としては水が得られやすいことから集落立地の大きな要因となっている。
 以上がごく一部ではありますが、関地連巡検の発表紹介とさせていただきます。お詫びとしては、上に記してあるのはレジュメからの引用なので、巡検の発表と異なる部分があります。
 (三回生 T)

2012年5月28日月曜日

予算折衝

5月18日、会計にとってはつらい予算折衝が行われました。今年度の各団体の活動予算についてのお話し合いなのですが、部員はなかなか乗り気ではありませんでしたね(笑)毎年、深夜帯の時間まで続くので終わった頃には、みなさん意気消沈しています(汗)
私たちは会議には出席はしない立場なので、BOXで待機して出席していた人たちのために、差し入れなどの準備をして終わるのを待っていました。
結果は、3:43に終わり、開始から約9時間となかなかの長時間となりました。今年も無事に終わることができたことに感謝を申し上げたいと思います。         (三回生 T)

2012年5月25日金曜日

関地連巡検事前報告会

今回は来月、6月3日にある関地連巡検の事前報告会が行われました。事前に報告会が設けられたのは、巡検をより良いものとするため部員も力が入っていました。発表内容としては・・・
・奈良盆地と水文(仮題)
・春日断層と扇状地から見た猿沢池の立地(仮題)
・JR奈良駅(仮題)
・近鉄奈良駅とその周辺街の景観の変化
・法律から見る奈良公園
・奈良公園の植生
・奈良公園のシカ
と、報告が行われることになりました。
 今年は私たち奈良大学地理学研究会が主幹校となりました。そのため、巡検は奈良まちを中心になります。今回の報告会では、はじめに述べたように、事前に行うことで巡検をより良くすることを目的としています。報告する中で、部員同士の意見交換や的確なアドバイスなどがあり、関地連では素晴らしい発表ができることを期待しています。
 私は今回の報告では、奈良公園の植生についてすることになりました。普段は歴史的分野から報告していたのですが、初めて植生をすることとなり、少なからず緊張と不安があります。なので、植生を主として研究を進めている先輩にアドバイスをもらいつつ、取り組ませていただいています。
 新しいことに挑戦していくことは、自身の知識の幅を広げていくと共に、周りの人にも得た情報を与えることで、地理研の発展につながることだと思われます。     (三回生 T)

2012年5月18日金曜日

新入生地元紹介

5月16日水曜日、新入生が地理学研究会の一員として活動に参加することとなる、地元紹介が行われることになりました。新入生としては、初めてのことなので緊張したことだと思われます。私も地元紹介をした時は、緊張のし過ぎでガチガチの状態で頭が真っ白になるほどでした。それに比べて、今年の紹介は年を重ねていくごとにレベルが上がっているように思えます。
今年の地元紹介では、
①広島県安芸高田市
②大阪府八尾市
③山形県東根市
④宮城県石巻市
の4箇所の発表が行われました。

①の人については、残念ながら体調不良のため次週に変更となりましたが、全員しっかりと自分の地元の魅力を私たちに紹介してくれました。一人一人のクオリティが高いため、今後の研究・活動に期待で胸が踊ります。
大まかなことばかりで、実際の内容についての説明がなく申し訳ないとは思いますが、以上で新入生地元紹介の報告を終わりたいと思います。
それではこれからも、地理学研究会の活動にご期待下さい。 (三回生 T)

2012年4月20日金曜日

新歓巡検



新入生歓迎の時期も終わり一段落着いたところで、いよいよ新年度のちりけん初巡検である新歓巡検が行われました。今年は新入生も数人入り、ひと安心と言ったところだと思われます。

さて、今回は新歓巡検について報告します。今年は奈良まちをテーマに巡検を執り行うこととなりました。主な経路は西大寺駅前から出発→平城宮跡→法華寺→海龍王寺→東向き商店街→猿沢池→興福寺→東大寺となりました。各地点では担当者による説明がもうけられ、新入生・現役生に奈良について一部ではありますが親しみを持ってもらえるようにしてまいりました。新入生にとっては初巡検となる今回は、私たちの活動を知ってもらえたことだと思われます。

巡検の中身についてですが、私が担当した興福寺を説明させていただきます。

興福寺は南都七大寺の中で最も奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺になります。和銅三年(710)藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺(うまやさかでら)を移転したもので、藤原氏の氏寺(氏族の氏上・族長が自身あるいは一族の現世安穏と故人の菩提を祈るために建立した寺)として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大した。また、神仏習合の影響も受け、春日大社と一体化し、時には僧兵を従えて朝廷へ強訴に及ぶまでになりました。

治承四年(1180)源平の争乱の際に平家に焼き討ちされ、ほとんどのお堂が焼失しますが、鎌倉時代に移り変わってからすぐに再建されました。現在の堂塔は、鎌倉以降の建物を一部残し、広い境内に中金堂・東金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建て並び、仏教彫刻類は天平時代(8世紀初~8世紀末)や鎌倉時代の名品を数多く保存しています。

今回の新歓巡検では、歴史的分野に偏りがちなものが多くありましたが、それも知識の幅を広げていくこととして見ていこうかと思います。私のように歴史的分野を専門とした人間が地理を踏まえて研究していくことは、なかなか難しいことも多いですが、その分やりがいがあると思います。

これから、一年間私たち地理学研究会をよろしくお願いします。(三回生 T)

2012年3月24日土曜日

春合宿の報告Part2です。
ずいぶん荒っぽいですが,海岸沖積部の報告は前日で終わりにして,今日は尾道の景観を決定づける後背山地へ向かいます。
Pic.1.尾道市街地の地形
(Garmin,MapSource)
Pic.1左部の緑色部分が千光寺公園です。
元々は千光寺の領地だったのですが,明治中期に阿波国の三木半左衛門によって公園化がはじまり,その後土地が尾道市に寄贈され,1905年に,尾道市によって公園化が完成したようです。(年代は確認していませんが,古い写真には観覧車などが写っていました)。
想像するに,明治中期に大陸との交易が盛んになるにつれ(歴史的に見て純粋な交易とはいえない一面があったかもしれませんが),全国各地から半左衛門のような豪商が尾道に集まり,尾道は第3期発展時代を迎えたのではないでしょうか。(ここでは第1期,2期については省略しますが,今も観光に活用保存されている商工会館をみるだけでも当時の隆盛がしのばれます)。これも現地点でのあてずっぽうの推測ですが,現在山腹斜面に建つ住宅は,明治以降のものが多いのではないでしょうか。
Pic,2.くさり岩の基部で記念撮影

さて,千光寺へ向かいますと,大きな花崗岩の露岩が現れます。千光寺ではめぼしい岩に名前がつけられ,これは「くさり岩」と呼ばれているようです。向かって右側が「男岩」,左側が「女岩」で,男岩の右にあるガリー(というか,チョックストーン状の岩)から登れるようになっています。ちなみに女岩の方からは,リスもない一枚岩のボルンハルトで,ボルトでもない限りおっかなくて登れそうにありませんでした。





Pic.3.男岩を背面登攀するT君
Pic.3.は部員たちの登攀のようすですが,あれっ? なんでT君は背中で登ってんの? みんな特殊能力を持ってるらしい。ちなみに私は遠慮しました。

ところで,この巨岩は千光寺の霊場(あるいは行場)であったはずですが,今は観光の対象として利用されているところが,一昨年,韓国を訪れたときに見たソウル近郊の仁王寺や太白山(テベクサン)浮石寺(プソクサ)でのようすと比較して印象的でした。(もちろん,千光寺もこの岩だけでしたが。)





 Pic.4.は千光寺から見た尾道市街地と尾道水道の景観です。
 この海と山と港町が醸し出す景観は,絵葉書に出てくるようなすばらしいものでしたが,よく考えれば極度に人工的なものであることがわかります。中世から港湾づくりと塩田開発が行われ,明治時代の絵図や写真を見ますと山も禿山でした。未確認ですが,Pic.4に見える崖の禿げた部分は採石場だったのではないでしょうか。
千光寺も今はロープウェイで手軽に登れますし,現在,尾道の景観を観光者として見るとき,いったい何を対象として見るべきなんでしょう。

観光を,純粋に余暇を楽しむものとして考えることができた頃が少しうらめしい。(River)


2012年3月22日木曜日

春合宿に参加してきました。
とりあえず,初日に全員で歩いた尾道旧市街地のようすだけ報告します。
Pic.1. 尾道駅前のようす
参加メンバーは前後で入れ替えがありましたが,計6名で行いました。こじんまりとした巡検でしたが,かえっていい雰囲気だったのではないかと感じています。班編成は行われませんでしたので,2日目からは旧1回生も含めて全員が,各自の調査目的に沿った地点に分かれて調査しました。

駅前は1990年代の再開発によって大きく変貌していました。Pic.1.はJR駅前の公園広場ですが,以前は海でした。左側から,ポートターミナル(フェリー乗り場)や,しまなみ交流館(観光物産店),大型ビジネスホテル,1~2階に地元資本の百貨店がテナントとして出店する集合住宅,などが見えます。

Pic.2. 尾道の商店街のようす
集合写真を撮影したのち全員で旧尾道市街地を見て回りました。Pic2.は尾道市街を東西に走る中心商店街で,昔の西国街道だった道です。往時のにぎわいを思わせる立派なアーケードとカラータイルでの舗装が設えられていて,いくつかの商店街組合に分かれています。また,その区画にはいずれも歴史的な意味があるようです。ただ,全国いずこも同じで,残念ながらシャッター店が散見されます。商圏の中心は新興住宅が集まる西部市街地に移動しているようです。
Pic.2.の左手に見える道標は千石寺への道を示していますが,尾道の南北の道は,幅が半間程度の路地が中心となっています。我々が見慣れた亰屋よりもさらに奥に細長い構造だったようです。(ただし歴史的な町割りは,近代以降細分化されてきている印象です。)

Pic.3.出雲街道の終点
Pic.3.は,西国街道と出雲街道との交差点だった地点です。この両街道は,尾道が海運の商都として発達するうえで,その地形のほかに重要な役割を果たしたそうです。とくに出雲街道は,中国山地のたたら製鉄と石見銀山との交通が大きかったようで,石見と尾道は4日間の時間でつながっていたということです。
 後は鉄や銀,塩などの他に,花崗岩,畳表,木材,酢などが運ばれたそうです。

 ほかに,夏巡検では個人的なテーマとして,図にあるような井戸をトレーサーとして,地形の判読を行うつもりです。現在はほとんど利用されていませんが,井戸台帳にあたってみるつもりです。幸い,水まつりが毎年盛大に開かれているということですので,地形の他に水利についても調べてみます。

 このあと千光寺に向かいましたが,長くなるのでここで中断します。
(River)






2012年2月23日木曜日

関地連研究発表会

ブログの編集方法を教えてもらったので早速更新したいと思います。
地理研一回生のNです。

2月20日に関西学生地理学連合(関地連)の年間研究発表会を行いました。
参加校は、追手門大学、京都大学、立命館大学、奈良大学の各研究会さんの年間行事、調査結果の発表を行いました。
私たち奈良大学地理学研究会では今年度の調査地である和歌山県田辺市についての研究発表を行い、他大学さんとの交流を深めました。

写真1.研究発表を行う部員

写真2.集合写真

来年度の関地連主幹校は私たち奈良大学になります。今後ともよろしくお願いします。



2012年2月11日土曜日

1.17ひょうごメモリアルウォーク2012

sagara1020です。

今年最初の投稿になります。
2012年1月17日にひょうごメモリアルウォークに参加してきました。


1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生しました。20万棟以上の建物が倒壊し、6,434人の犠牲者がでました。


その大震災の記憶を風化させまいと考えられたのが1.17ひょうごメモリアルウォークです。



より大きな地図で memoriaru を表示

当日は、阪神西台駅近くの県立文化体育館西をスターと地点とする西10kmコースに参加し実際に被災した神戸の街を歩きました。街の景観としては、震災後にたてられたであろう公営住宅の多さが目立ちました(図1)。現在の神戸の街を見るとあの凄まじい震災からよくここまで復興したなと思うほどで、震災の様子は感じられません(震災の爪痕は所々に残っていて完璧には復興していないのだが、景観だけみると復興したようにみえる)。ゴール地点の人と未来防災センターがあるHATでは、炊き出し(図2)、地震体験車、液状化実験など様々なブースが立ちならんでいました。そこで、実際に炊き出しされたみそ汁を飲んだりしました。


動画1 スタート地点から出発する参加者

 図1 立ち並ぶ公営住宅

図2 自衛隊による炊き出しの様子


この行事は、まさにいきた防災教育であります。被災した地域で、被災した状況を再現するということは、よりリアルに災害を身近にすることができます。心のどこかで災害を意識した状態であれば、いつ起こるかわからない災害にも対応することができます。災害時には、電子機器が機能しない、書類関連は燃えてなくなるかもしれないというように日常が非日常にかわるのです。そうなった時に頼れるのは、自分に蓄えられた知識のみです。その知識は、一朝一夕で身に付くものではありません。だから疑似体験をし、災害を肌で感じられるメモリアルウォークのような行事は、評価されるべきです。



しかし、この誰もが絶賛するような行事にも、欠点があります。それは、主催側にも一般側にも参加する若者がすくないことです。参加者の多くは、震災を経験している世代です。震災を体で覚えている人たちは、明日にでも震災がおきたら対応できると思います。ですが、震災を知らない世代はいざという出来事に対応できるでしょうか。今後、震災を知らない世代がどんどんと増え、家庭をきづいていく時代がやってきます。そうやって、増えていった人々は明日おこる震災に対応できるのでしょうか。




メモリアルウォークは本当にすばらしい行事です。しかし、課題として震災を知らない世代の参加が少ないということがあります。震災を知っている世代は、知らない世代に震災のリアルをどう、伝えていくかが今後重要になっていくでしょう。中身のないマニュアルだけの伝統ではなく、本物の伝統行事としてこのメモリアルウォークが50年、100年後の未来へと受け継がれていってほしいと思います。