2011年5月14日土曜日

久しぶりに映画鑑賞

 今日,『岳』を観てきました。映画鑑賞は本当に久しぶりで,前回はどこで何を観たのか思い出せないほどです。けど,これでも前回の学生時代は洋画,邦画を問わずよく通ったほうでして,特に卒業年度は毎週土曜日の夜に出かけるのが習慣になっていました。実験で忙しくて山に行くことができず,週に一度の映画がささやかな楽しみだったのを思い出します。
 
 さて『岳』ですが,評価は分かれるのではないでしょうか。公開中の映画ですのでストーリーは控えますが,私は泣けました。(ただし,年を歳を取るにつれ極度に涙もろくなっている事情を差っ引く必要があります)。
 反面,岩や雪を少しでもかじった人間には,まどろっこしいところや不自然なところが目につき,映像に入り込むことが難しく感じました。(導入(解説)や誇張は,商業フィルムの避けて通れない儀式のようなものとして理解する必要があります)。
 
 いずれにしましても,山岳救助隊は私にとってあこがれの職業の一つですが,それは天地がひっくり返っても無理な話です。映画でも強調されるように,登山に命を懸けるアマチュアの「山屋」と,遭難救助に使命感を燃やす「山のプロ」とは容姿・技量は同じでも全く違った括りです。厳密には重複する場合もありますが,山に限らずどのような分野にでも当てはまりそうです。

 話がまとまりませんが,映画の中で「爆弾」の単語が出てきました。懐かしいのと,地理に直結する言葉ですのでおさらいをしました。(というか,大型の低気圧くらいの知識しか持っていなかったので慌てて調べたというのが正しいのですが・・)。


図1.日本アルプスの緯度を北緯36°と仮定して描いた
爆弾低気圧の定義を示す図
  爆弾低気圧は学術用語ではないためか,手元の教科書には載っていませんでしたので,お手軽で申し訳ありませんがウィキペディアを参照しました。
 要は,急速に発達した温帯低気圧を総称する言葉らしく,24時間で変化した中心気圧の変化が次式で得られる⊿Pより大きくなる低気圧を爆弾低気圧というらしい。

 ⊿P=24×sinΦ/sin60° ・・・①

 ①式を理解しやすくするために右図を描いてみたが,要は,基準の緯度を60°(北緯でも南緯でも同じ)にとり,対象低気圧の中心緯度Φでのa1と基準点でのa0との比を意味している。このため,①式は

 ⊿P=24×a1/a0 ・・・②

と置きかえることができる。
と,ここまでは数式だけのことで機械的だが,肝心の物理的な意味がよくわからない。たとえば,なぜ基準緯度が60°なのか,また,なぜ,24時間なのか。温帯低気圧なので通常30~40°が対象エリアだが,なぜシベリア寒気団エリアの60°が基準となるのか,などなど,気象についての不勉強が祟り,考えれば」考えるほどに意味が分からなくなってしまう。

 この疑問はなるべく早急に理解したいと思います。映画から逸脱しましたが地理研のブログですのでご了解ください。     River
 


2011年5月6日金曜日

三陸海岸の被災のようす(3)

 今回は釜石市大槌町のようすを報告しようと思っていましたが,地図をアップするのに時間がかかりそうなので,前回に続き田老を報告します。

図9.図1の⑤地点での露頭
 
 図9は,防波堤と防潮堤の中間地点にある露頭のようすです。図の左側に白いプレートが見えますが,これは,明治と昭和の三陸津波の際に到達した水位の高さをメモリアルしたものです。一方,右側の露頭では今回到達した水位を小さな付着物として見ることができます。
 ここでは2つの見方があるように思いました。一つは,今回の地震のエネルギー(Mw9.0) の大きさによる津波の高さです。もう1つは明治と昭和の津波被害を受けた後に建設された防波堤と防潮堤による津波の吸い上げ効果です。
 まだ勉強不足で早急な判断はできませんが,後者の可能性と,それによる社会的な影響について考えることが地理的に重要だと感じました。
図10.防潮堤の決壊部断面

 
 図10は,図1の⑦部分での防潮堤のようすで,左側が陸側,右側が海側です。すでに漂着物はかなり整理されており,土砂の移動も行われていますが,異様なのは防潮堤の陸側の土堤部分のようすです。港湾空港技術研究所の報告にも釜石防波堤の破堤プロセスとして,両岸の水位差と,ケーソン部の隙間の流速とによるマウンド洗掘の可能性が指摘されていますが,それにしても,不自然な(あるいは理解しにくい)地形が残るものだという印象が残ります。人の手が入ったという可能性もありますが今後の宿題です。



図11.破堤部のようす

 図11も防潮堤の決壊部のようすです。
 私は,防波堤の構造は基本的にダムと同じだと思っていたのですが,このようすを見て,これまでまったく理解できていなかったことがよくわかりました。要は,防波堤のケーソンは重力式ブロックを置くという工法で,並べられているに過ぎないということです。ケーソンの隙間を十分なコンクリートで固定されているわけでもなく,鉄筋でつながっているわけでもないからです。(湾口の防波堤はサイコロを振ったような状態でした。)
 もちろん,ダムと異なり浸透圧による決壊を考える必要はありませんのでこの工法にも合理性はあると思います。しかし,結果論として課題を感じました。

  私は災害や防災に焦点を当てて研究しているわけではありませんが,今回の調査は,今後の研究に対して重要な意味を持つことが明らかです。これまで地域を考える時,あるスパンの期間が必要ですが,切り取る基点がいつでもいいというわけにはいかず悩むときがありました。クラブの調査で神戸市を取り上げた時が正にそうでして,震災時を見ていない私には本当に荷が重い作業でした。こういっては不謹慎ですが,今回の震災は私に基点を与えてくれたような気がしています。現在は修論で時間がありませんが,修了後に取り組もうと考えています。

 他にも報告したいことはまだまだ山積ですが,とりあえず三陸の報告は今回で終了にします。
River
 








2011年5月3日火曜日

三陸海岸の被災のようす(2)

図4.防潮堤(図1②の市街地側)
 図4の防潮堤はTP.10.45mに設計されているようですが,湾内に入った津波の高さは12mに達したと考えられ,さらに津波の特性から防潮堤の地点では15mを優に超えたのではないでしょうか。
 沖合を津波として伝搬してきたエネルギーが,この地点で一気に高波としてのエネルギーに変換され,濁流として集落を襲ったようすが思い浮かばれます。
 報道である程度の被害状況は知っていましたが,この地点は2重堤の内側ということもあり,実際にその様子を確認しても信じられない思いがしました。やはり,同じ波高でも高波と津波とではまるで違うものなのだということが実感としてわかりました。
 それにつれ,津波防災の世界的先進地であった田老地区でさえこのような被害が出てしまった事実が重く感じられました。

図5.破堤した防潮堤(図1⑦)

 図5は1重目の防潮堤(TP10.0m)です。国際航業のCGシミュレーションによりますと,この地点へは対岸の岬からの反射波が押し寄せて多重波となったようです。あくまでも結果論ですが,設計基準以上の津波は想定されておらず崩壊してしまったようです。たとえ設計基準以上の津波でも崩壊だけは避けられなかったかと残念に思いました。最高波は超えても残りの波は抑えられ被害は軽減できた可能性があると思います。引き波の被害も軽減できたのではないでしょうか。(ただし,これはあくまでも観察の印象だけです。)
 
  被災状況のすべてはお伝えしきれません。とりあえず図1の④から撮影した田老中心部の全景をアップします。
図6.田老全景(南側)

 撮影地点は,集落から比高12m程度の高さにある出羽神社が建立されている場所です。他の被災地でも同様でしたが,神社という神社すべてが今回の津波被害からは免れていました。それもそのほとんどが,あと数メートルで,という絶妙な地点に建てられていました。


図7.田老の全景(中央部)

 図6,7,8で確認できるエリアは,野原という字名から推測しますと,元々は田老の中心部ではなく,湿地帯もしくは田圃が広がる地域だったのではないでしょうか。その後,漁業が活発になるにつれ時代とともに集落が形成されたと推測します。さて,それがいつのことなのかは不勉強ですが,これまでの三陸地方の津波被害の頻度を考えますと,歴史は繰り返されてきたと思われます。そして今後も,田老の再建のためにはこの区域を捨てるわけにはいきません。
 ただし,復興に際しては住民の方々の意向が最優先されるべきですが,立地上の漁業と集落の両立は困難な問題で,職住の若干の分離は避けられないかもしれません。
図8.田老の全景(北部)


 訪れた日は被災から42日たっていましたので大きな瓦礫(という表現は適切ではないと思いますが他の表現が思いつきません)はかなり整理されていましたが,それでも自動車や乗り上げた船舶などはまだまだ残されており,さらに,一見被災の程度が低いと思われる建物も実は大きな被害を受けており,「解体OK」と書かれた建物が多く残っていました。

 遠望ではわかりませんが,瓦礫の1つ1つに被災の皆さんの思い出が詰まっているのを間近に見ますと,調査のためとはいえ,ただ観察して歩いているだけの自分が無力に感じられました。こうしてアップしているのも実はその反動ともいえ,できるだけ多くの人たちがそろそろ現地を訪れ何らかの活動をしてもらえないかと期待するからです。
 まだまだ自力完結型の訪問しかできませんが,地理学を学ぶ私にとって,目をそらすことのできない空間がそこにありました。   River