2011年10月28日金曜日

立体模型完成

立体模型が完成しました!!

長かったです。1回生から4回生までの地理研部員総動員で作業しました。

完成したての模型の写真と仕上げの作業をしている動画をアップします。



動画-1 立体模型の仕上げ作業



写真-1 完成した立体(下が北)

2011年10月16日日曜日

とある水曜日の部会の様子

sagara1020です。

部会の様子を報告します。
地理研の部会は、毎週水曜日に行われます。
最近の部会では、第二回中間報告会(夏合宿の成果報告会)と学祭関係の話し合いが主です。

この日は、学園祭の模擬店に関する事件が起きました。

過去の模擬店では、富士宮やきそば、讃岐うどんなどのご当地食材を使用していました。なので、今回も同じように和歌山県の田辺市の名産である梅やみかんを使ったおにぎりをつくるということになっていました。

しかし、おにぎりは不衛生であると保健所のほうから意見されてしまいました。

このままでは、模擬店中止などという状況になりそうなので、うちのおにぎりは衛生的だということを証明すべくみんなで意見を出し合いました。

図1 部会の様子

 図2 おにぎりの衛生面の高さを主張する部員

 図3 どうしたものかと考える部員たち

このさきどうなることやら、、、。
近況がわかり次第報告いたします。


先ほどのものとはうってかわって第二会中間報告に関する報告書の構成を決めるているときに動画1を撮影しました。部会の雰囲気がよくわかる動画です。せっかくなのでアップしておきます。

動画1 部会の様子

文責:sagara1020

2011年10月15日土曜日

タイのつづき(3)

 青垣祭まで残すところ2週間となり,H棟は活気を帯びてきました。これからが最後の火事場のクソ力を発揮できる期間で,クラブ全体としての力量が試されます。
 とか何とかいって,私は何もせずヒヨッテいるだけですが,本当のところは何もできないというのが正しく,情けない。別に死ぬほど忙しいわけでもないのですが,さすがに,春合宿以降現地を見ていないというのは致命的で,私が唯一参加可能な展示作業にも自信をもてないことが尾を引いています。お祭り前だというのにちょっとブルーな気持ちです。

さて,気を取り直してタイの紹介です。

図1.マレー半島中部の東海岸に発達する砂嘴とラグーン

前回は,マレー半島両岸の地形について紹介しましたが,いずれにしましても,マレー半島そのものはプレート運動による大きな褶曲山地であり,火山フロントではありません。プーケットからナコンシタラマート一帯には石灰岩地形が点在し,熱帯特有の赤色に風化した土壌が見られました。標高のある山の帽岩の部分は比較的しっかりとしており,山腹は風化して削られて急斜面となっていました。このような山体のシルエットはアドリア海周辺と似通っていたのですが,いかんせん,気候の違いによる植生が全く異なり,同じ石灰岩地形とは思えない景観でした。また,地質は確認できていませんが,海岸近くの平野には小さな残丘がいくつか見られました。


図2.ノイ湖近くの東海岸に見られる後背湿地と
遠方に見られる石灰岩地形の山(途中は海:南南東向き)

一方,東海岸の地形ですが,平野部は浜堤列平野です。図1から想定しますと,ソンクラーからナコンシータマラートまで,およそ150㎞におよぶ大きな浜堤でできた平野が連なっています。前回-図1のLaem Talumphuk集落の部分は成長段階の砂嘴ですが,タレーノイ国立公園から南にある大きな湖はラグーン(図2,3)であり,歴史的には,ソンクラーの部分から砂嘴の形成が始まっているように見えます。巡検では,東海岸が時代とともに南側から順に陸化してきたことをイメージしながら観察できました。その形成史については,引率していただいた海津先生をはじめとする国際プロジェクトによる研究で明らかになるはずです(ただし,私が未確認だけで発表済みかもしれません)。

図3.ノイ湖の湖岸のようす
(深さは数10㎝と浅く,沖合にも水草が浮かぶため,
船の幅は狭く長い)


図4は,以前に紹介したKing’s Projectの記念館(王様の離宮内)で見学した,この周辺のジオラマです。
ところで,砂嘴の形成については,まだ理解できていないことがあります。砂嘴の母材はどこのもので,どのように運ばれてきたのかということです。タイ湾が大陸棚であることと河川流域の地形・地質・流量・広さとの関係,そして,ケッペンの海流図()によるとタイ湾の海流は反時計まわりであるのに,なぜ南側から砂嘴が形成されたような地形ができるのか,あるいは沿岸流は反対方向であるのかなど,基本的なデータをまだ入手できていませんので今一つ思考が深まりません。(タイ語は無論のこと,英語さえチンプンカンプンな学生の限界を感じてしまうなあ。青息吐息の後に残るは,ため息のみ。)

図4.東海岸のジオラマ(写真は合成)
(浜堤列平野の地形とKing's Projectとの関係を示す)


さて,ここまで,周辺の地形について概観しましたが,この辺でようやくエビの養殖の話題に取り付けそうです。けれども,あまり長くなってもなんですので,この辺でいったん区切ります。(River

(※)「世界の気候区と海流」W.Koppen*ほか:『基本地図帳』二宮書店(2006)
    (*Koppenの「o」は上に「‥」)

2011年10月12日水曜日

立体模型の作業開始

今年も学祭のシーズンがやってまいりました。
例年同様、地理研では研究対象地域の立体模型(地形のジオラマ)を作成しています。


この模型は、地図上の等高線をなぞって、切り出し、等高線ごとに重ね合わせるという形式で作成しています。

 図1 夜間に作業する部員

動画1 作業する部員



例年通り、ぎりぎりまで作業するという状況になりそうですが、それも含めて学祭期間を楽しみたいと思います。
立体模型の進行状況もアップできたら順次アップしていきます。


~作業経過の更新~



図2 立体模型の進行状況



 文責:sagara1020

2011年10月6日木曜日

タイのつづき(2)

図1.Laem Talumphuk周辺の空中写真
 今回は,前回に少し触れた,ナコーン・シー・タマラート(Nakhon Si Thammarat)県のリームタルンプック(Laem Talumphuk)周辺(図1)でのエビの養殖について紹介します。

ナコーンシータマラートは,タイ南部にあった王国の古都で,マレーシア系のイスラーム文化の影響をうける地域の北限にあたるようです。私たちが訪れたタクシン大学でも,ヒジャブ(頭部と首回りだけを隠す)と呼ばれる衣装をまとった女学生が大勢熱心に勉強していました。


図2.マレー半島を横断する交易路
 この地域周辺は,マレー半島が細くくびれた場所(クラ地峡)の南に立地し,パタニをはじめ,海洋貿易において重要な拠点港が点在しています。とくに大航海時代において,西洋の国家権力を背に受けた海賊が出没したことからわかるように,世界的な権欲が渦巻いていた地域だったようです。ナコーンシータマラートも同様で,図2に見られますように,マレー海峡を経由せずにマレー半島を横断するルートが開設されています。前回紹介しましたKing’s Projectは,まさにそのルートとして利用されたパクパナン?(Pak Phanang)川でのプロジェクトです。
(余談ですが,アユタヤ王朝時代,チャオプラヤー川の交易を掌握していた日本人街の頭領として活躍した山田長政は,ここナコーンシータマラートの防衛のためにパタニ王国と戦い,1630年に当地で死亡しています。)






図3.マレー半島の海岸地形
 なかなかエビの養殖の紹介にたどり着きませんが,そのためには,まず地形の紹介をしておく必要があります。図3をご覧ください。とくにマレー半島の東部と西部の海岸地形の違いに注意してください。西岸はリアス式の沈水地形を示し,東岸は砂嘴を含む堆積地形を示しています。地質は異なっていますが,形状だけを採り,東西を反対にすれば,どこか日本の東北地方に似ていると思えないでしょうか(相当無理がありますが,私には最初そう見えてしまいました)。インド洋プレートが西からアンダマン海溝で沈み込み,大陸プレートのマレー半島西岸も三陸海岸と同様に滑って沈降する,とそんなストーリーです。地質帯としては四万十帯のようなものではと。一方,東海岸は,大陸プレートから見ると内陸側の大陸棚にあたり,褶曲運動はあるもののプレート運動の影響は少なくなり安定し,南シナ海の海流がタイ湾を時計回りに回転し堆積が進む。この辺はどうも東日本震災の影響による妄想かもしれませんが,では,そう考えて不具合は,というとそれも思いつきません。

 と,ここまでの内容は,エビ養殖に適したマングローブ林が発達する地形の成因について書こうとしていたのですが,寝ないといけない時間になりました。続きはまた後日にします。(River