2012年3月24日土曜日

春合宿の報告Part2です。
ずいぶん荒っぽいですが,海岸沖積部の報告は前日で終わりにして,今日は尾道の景観を決定づける後背山地へ向かいます。
Pic.1.尾道市街地の地形
(Garmin,MapSource)
Pic.1左部の緑色部分が千光寺公園です。
元々は千光寺の領地だったのですが,明治中期に阿波国の三木半左衛門によって公園化がはじまり,その後土地が尾道市に寄贈され,1905年に,尾道市によって公園化が完成したようです。(年代は確認していませんが,古い写真には観覧車などが写っていました)。
想像するに,明治中期に大陸との交易が盛んになるにつれ(歴史的に見て純粋な交易とはいえない一面があったかもしれませんが),全国各地から半左衛門のような豪商が尾道に集まり,尾道は第3期発展時代を迎えたのではないでしょうか。(ここでは第1期,2期については省略しますが,今も観光に活用保存されている商工会館をみるだけでも当時の隆盛がしのばれます)。これも現地点でのあてずっぽうの推測ですが,現在山腹斜面に建つ住宅は,明治以降のものが多いのではないでしょうか。
Pic,2.くさり岩の基部で記念撮影

さて,千光寺へ向かいますと,大きな花崗岩の露岩が現れます。千光寺ではめぼしい岩に名前がつけられ,これは「くさり岩」と呼ばれているようです。向かって右側が「男岩」,左側が「女岩」で,男岩の右にあるガリー(というか,チョックストーン状の岩)から登れるようになっています。ちなみに女岩の方からは,リスもない一枚岩のボルンハルトで,ボルトでもない限りおっかなくて登れそうにありませんでした。





Pic.3.男岩を背面登攀するT君
Pic.3.は部員たちの登攀のようすですが,あれっ? なんでT君は背中で登ってんの? みんな特殊能力を持ってるらしい。ちなみに私は遠慮しました。

ところで,この巨岩は千光寺の霊場(あるいは行場)であったはずですが,今は観光の対象として利用されているところが,一昨年,韓国を訪れたときに見たソウル近郊の仁王寺や太白山(テベクサン)浮石寺(プソクサ)でのようすと比較して印象的でした。(もちろん,千光寺もこの岩だけでしたが。)





 Pic.4.は千光寺から見た尾道市街地と尾道水道の景観です。
 この海と山と港町が醸し出す景観は,絵葉書に出てくるようなすばらしいものでしたが,よく考えれば極度に人工的なものであることがわかります。中世から港湾づくりと塩田開発が行われ,明治時代の絵図や写真を見ますと山も禿山でした。未確認ですが,Pic.4に見える崖の禿げた部分は採石場だったのではないでしょうか。
千光寺も今はロープウェイで手軽に登れますし,現在,尾道の景観を観光者として見るとき,いったい何を対象として見るべきなんでしょう。

観光を,純粋に余暇を楽しむものとして考えることができた頃が少しうらめしい。(River)


2012年3月22日木曜日

春合宿に参加してきました。
とりあえず,初日に全員で歩いた尾道旧市街地のようすだけ報告します。
Pic.1. 尾道駅前のようす
参加メンバーは前後で入れ替えがありましたが,計6名で行いました。こじんまりとした巡検でしたが,かえっていい雰囲気だったのではないかと感じています。班編成は行われませんでしたので,2日目からは旧1回生も含めて全員が,各自の調査目的に沿った地点に分かれて調査しました。

駅前は1990年代の再開発によって大きく変貌していました。Pic.1.はJR駅前の公園広場ですが,以前は海でした。左側から,ポートターミナル(フェリー乗り場)や,しまなみ交流館(観光物産店),大型ビジネスホテル,1~2階に地元資本の百貨店がテナントとして出店する集合住宅,などが見えます。

Pic.2. 尾道の商店街のようす
集合写真を撮影したのち全員で旧尾道市街地を見て回りました。Pic2.は尾道市街を東西に走る中心商店街で,昔の西国街道だった道です。往時のにぎわいを思わせる立派なアーケードとカラータイルでの舗装が設えられていて,いくつかの商店街組合に分かれています。また,その区画にはいずれも歴史的な意味があるようです。ただ,全国いずこも同じで,残念ながらシャッター店が散見されます。商圏の中心は新興住宅が集まる西部市街地に移動しているようです。
Pic.2.の左手に見える道標は千石寺への道を示していますが,尾道の南北の道は,幅が半間程度の路地が中心となっています。我々が見慣れた亰屋よりもさらに奥に細長い構造だったようです。(ただし歴史的な町割りは,近代以降細分化されてきている印象です。)

Pic.3.出雲街道の終点
Pic.3.は,西国街道と出雲街道との交差点だった地点です。この両街道は,尾道が海運の商都として発達するうえで,その地形のほかに重要な役割を果たしたそうです。とくに出雲街道は,中国山地のたたら製鉄と石見銀山との交通が大きかったようで,石見と尾道は4日間の時間でつながっていたということです。
 後は鉄や銀,塩などの他に,花崗岩,畳表,木材,酢などが運ばれたそうです。

 ほかに,夏巡検では個人的なテーマとして,図にあるような井戸をトレーサーとして,地形の判読を行うつもりです。現在はほとんど利用されていませんが,井戸台帳にあたってみるつもりです。幸い,水まつりが毎年盛大に開かれているということですので,地形の他に水利についても調べてみます。

 このあと千光寺に向かいましたが,長くなるのでここで中断します。
(River)