5月18日、会計にとってはつらい予算折衝が行われました。今年度の各団体の活動予算についてのお話し合いなのですが、部員はなかなか乗り気ではありませんでしたね(笑)毎年、深夜帯の時間まで続くので終わった頃には、みなさん意気消沈しています(汗)
私たちは会議には出席はしない立場なので、BOXで待機して出席していた人たちのために、差し入れなどの準備をして終わるのを待っていました。
結果は、3:43に終わり、開始から約9時間となかなかの長時間となりました。今年も無事に終わることができたことに感謝を申し上げたいと思います。 (三回生 T)
2012年5月28日月曜日
2012年5月25日金曜日
関地連巡検事前報告会
今回は来月、6月3日にある関地連巡検の事前報告会が行われました。事前に報告会が設けられたのは、巡検をより良いものとするため部員も力が入っていました。発表内容としては・・・
・奈良盆地と水文(仮題)
・春日断層と扇状地から見た猿沢池の立地(仮題)
・JR奈良駅(仮題)
・近鉄奈良駅とその周辺街の景観の変化
・法律から見る奈良公園
・奈良公園の植生
・奈良公園のシカ
と、報告が行われることになりました。
今年は私たち奈良大学地理学研究会が主幹校となりました。そのため、巡検は奈良まちを中心になります。今回の報告会では、はじめに述べたように、事前に行うことで巡検をより良くすることを目的としています。報告する中で、部員同士の意見交換や的確なアドバイスなどがあり、関地連では素晴らしい発表ができることを期待しています。
私は今回の報告では、奈良公園の植生についてすることになりました。普段は歴史的分野から報告していたのですが、初めて植生をすることとなり、少なからず緊張と不安があります。なので、植生を主として研究を進めている先輩にアドバイスをもらいつつ、取り組ませていただいています。
新しいことに挑戦していくことは、自身の知識の幅を広げていくと共に、周りの人にも得た情報を与えることで、地理研の発展につながることだと思われます。 (三回生 T)
・奈良盆地と水文(仮題)
・春日断層と扇状地から見た猿沢池の立地(仮題)
・JR奈良駅(仮題)
・近鉄奈良駅とその周辺街の景観の変化
・法律から見る奈良公園
・奈良公園の植生
・奈良公園のシカ
と、報告が行われることになりました。
今年は私たち奈良大学地理学研究会が主幹校となりました。そのため、巡検は奈良まちを中心になります。今回の報告会では、はじめに述べたように、事前に行うことで巡検をより良くすることを目的としています。報告する中で、部員同士の意見交換や的確なアドバイスなどがあり、関地連では素晴らしい発表ができることを期待しています。
私は今回の報告では、奈良公園の植生についてすることになりました。普段は歴史的分野から報告していたのですが、初めて植生をすることとなり、少なからず緊張と不安があります。なので、植生を主として研究を進めている先輩にアドバイスをもらいつつ、取り組ませていただいています。
新しいことに挑戦していくことは、自身の知識の幅を広げていくと共に、周りの人にも得た情報を与えることで、地理研の発展につながることだと思われます。 (三回生 T)
2012年5月18日金曜日
新入生地元紹介
5月16日水曜日、新入生が地理学研究会の一員として活動に参加することとなる、地元紹介が行われることになりました。新入生としては、初めてのことなので緊張したことだと思われます。私も地元紹介をした時は、緊張のし過ぎでガチガチの状態で頭が真っ白になるほどでした。それに比べて、今年の紹介は年を重ねていくごとにレベルが上がっているように思えます。
今年の地元紹介では、
①広島県安芸高田市
①広島県安芸高田市
②大阪府八尾市
③山形県東根市
④宮城県石巻市
の4箇所の発表が行われました。
①の人については、残念ながら体調不良のため次週に変更となりましたが、全員しっかりと自分の地元の魅力を私たちに紹介してくれました。一人一人のクオリティが高いため、今後の研究・活動に期待で胸が踊ります。
大まかなことばかりで、実際の内容についての説明がなく申し訳ないとは思いますが、以上で新入生地元紹介の報告を終わりたいと思います。
それではこれからも、地理学研究会の活動にご期待下さい。 (三回生 T)
2012年4月20日金曜日
新歓巡検
新入生歓迎の時期も終わり一段落着いたところで、いよいよ新年度のちりけん初巡検である新歓巡検が行われました。今年は新入生も数人入り、ひと安心と言ったところだと思われます。
さて、今回は新歓巡検について報告します。今年は奈良まちをテーマに巡検を執り行うこととなりました。主な経路は西大寺駅前から出発→平城宮跡→法華寺→海龍王寺→東向き商店街→猿沢池→興福寺→東大寺となりました。各地点では担当者による説明がもうけられ、新入生・現役生に奈良について一部ではありますが親しみを持ってもらえるようにしてまいりました。新入生にとっては初巡検となる今回は、私たちの活動を知ってもらえたことだと思われます。
巡検の中身についてですが、私が担当した興福寺を説明させていただきます。
興福寺は南都七大寺の中で最も奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺になります。和銅三年(710)藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺(うまやさかでら)を移転したもので、藤原氏の氏寺(氏族の氏上・族長が自身あるいは一族の現世安穏と故人の菩提を祈るために建立した寺)として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大した。また、神仏習合の影響も受け、春日大社と一体化し、時には僧兵を従えて朝廷へ強訴に及ぶまでになりました。
治承四年(1180)源平の争乱の際に平家に焼き討ちされ、ほとんどのお堂が焼失しますが、鎌倉時代に移り変わってからすぐに再建されました。現在の堂塔は、鎌倉以降の建物を一部残し、広い境内に中金堂・東金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建て並び、仏教彫刻類は天平時代(8世紀初~8世紀末)や鎌倉時代の名品を数多く保存しています。
今回の新歓巡検では、歴史的分野に偏りがちなものが多くありましたが、それも知識の幅を広げていくこととして見ていこうかと思います。私のように歴史的分野を専門とした人間が地理を踏まえて研究していくことは、なかなか難しいことも多いですが、その分やりがいがあると思います。
これから、一年間私たち地理学研究会をよろしくお願いします。(三回生 T)
2012年3月24日土曜日
春合宿の報告Part2です。
ずいぶん荒っぽいですが,海岸沖積部の報告は前日で終わりにして,今日は尾道の景観を決定づける後背山地へ向かいます。
Pic.1左部の緑色部分が千光寺公園です。
元々は千光寺の領地だったのですが,明治中期に阿波国の三木半左衛門によって公園化がはじまり,その後土地が尾道市に寄贈され,1905年に,尾道市によって公園化が完成したようです。(年代は確認していませんが,古い写真には観覧車などが写っていました)。
想像するに,明治中期に大陸との交易が盛んになるにつれ(歴史的に見て純粋な交易とはいえない一面があったかもしれませんが),全国各地から半左衛門のような豪商が尾道に集まり,尾道は第3期発展時代を迎えたのではないでしょうか。(ここでは第1期,2期については省略しますが,今も観光に活用保存されている商工会館をみるだけでも当時の隆盛がしのばれます)。これも現地点でのあてずっぽうの推測ですが,現在山腹斜面に建つ住宅は,明治以降のものが多いのではないでしょうか。
さて,千光寺へ向かいますと,大きな花崗岩の露岩が現れます。千光寺ではめぼしい岩に名前がつけられ,これは「くさり岩」と呼ばれているようです。向かって右側が「男岩」,左側が「女岩」で,男岩の右にあるガリー(というか,チョックストーン状の岩)から登れるようになっています。ちなみに女岩の方からは,リスもない一枚岩のボルンハルトで,ボルトでもない限りおっかなくて登れそうにありませんでした。
Pic.3.は部員たちの登攀のようすですが,あれっ? なんでT君は背中で登ってんの? みんな特殊能力を持ってるらしい。ちなみに私は遠慮しました。
ところで,この巨岩は千光寺の霊場(あるいは行場)であったはずですが,今は観光の対象として利用されているところが,一昨年,韓国を訪れたときに見たソウル近郊の仁王寺や太白山(テベクサン)浮石寺(プソクサ)でのようすと比較して印象的でした。(もちろん,千光寺もこの岩だけでしたが。)
Pic.4.は千光寺から見た尾道市街地と尾道水道の景観です。
この海と山と港町が醸し出す景観は,絵葉書に出てくるようなすばらしいものでしたが,よく考えれば極度に人工的なものであることがわかります。中世から港湾づくりと塩田開発が行われ,明治時代の絵図や写真を見ますと山も禿山でした。未確認ですが,Pic.4に見える崖の禿げた部分は採石場だったのではないでしょうか。
千光寺も今はロープウェイで手軽に登れますし,現在,尾道の景観を観光者として見るとき,いったい何を対象として見るべきなんでしょう。
観光を,純粋に余暇を楽しむものとして考えることができた頃が少しうらめしい。(River)
ずいぶん荒っぽいですが,海岸沖積部の報告は前日で終わりにして,今日は尾道の景観を決定づける後背山地へ向かいます。
![]() |
| Pic.1.尾道市街地の地形 (Garmin,MapSource) |
元々は千光寺の領地だったのですが,明治中期に阿波国の三木半左衛門によって公園化がはじまり,その後土地が尾道市に寄贈され,1905年に,尾道市によって公園化が完成したようです。(年代は確認していませんが,古い写真には観覧車などが写っていました)。
想像するに,明治中期に大陸との交易が盛んになるにつれ(歴史的に見て純粋な交易とはいえない一面があったかもしれませんが),全国各地から半左衛門のような豪商が尾道に集まり,尾道は第3期発展時代を迎えたのではないでしょうか。(ここでは第1期,2期については省略しますが,今も観光に活用保存されている商工会館をみるだけでも当時の隆盛がしのばれます)。これも現地点でのあてずっぽうの推測ですが,現在山腹斜面に建つ住宅は,明治以降のものが多いのではないでしょうか。
Pic,2.くさり岩の基部で記念撮影
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さて,千光寺へ向かいますと,大きな花崗岩の露岩が現れます。千光寺ではめぼしい岩に名前がつけられ,これは「くさり岩」と呼ばれているようです。向かって右側が「男岩」,左側が「女岩」で,男岩の右にあるガリー(というか,チョックストーン状の岩)から登れるようになっています。ちなみに女岩の方からは,リスもない一枚岩のボルンハルトで,ボルトでもない限りおっかなくて登れそうにありませんでした。
| Pic.3.男岩を背面登攀するT君 |
ところで,この巨岩は千光寺の霊場(あるいは行場)であったはずですが,今は観光の対象として利用されているところが,一昨年,韓国を訪れたときに見たソウル近郊の仁王寺や太白山(テベクサン)浮石寺(プソクサ)でのようすと比較して印象的でした。(もちろん,千光寺もこの岩だけでしたが。)
この海と山と港町が醸し出す景観は,絵葉書に出てくるようなすばらしいものでしたが,よく考えれば極度に人工的なものであることがわかります。中世から港湾づくりと塩田開発が行われ,明治時代の絵図や写真を見ますと山も禿山でした。未確認ですが,Pic.4に見える崖の禿げた部分は採石場だったのではないでしょうか。
千光寺も今はロープウェイで手軽に登れますし,現在,尾道の景観を観光者として見るとき,いったい何を対象として見るべきなんでしょう。
観光を,純粋に余暇を楽しむものとして考えることができた頃が少しうらめしい。(River)
2012年3月22日木曜日
春合宿に参加してきました。
とりあえず,初日に全員で歩いた尾道旧市街地のようすだけ報告します。
参加メンバーは前後で入れ替えがありましたが,計6名で行いました。こじんまりとした巡検でしたが,かえっていい雰囲気だったのではないかと感じています。班編成は行われませんでしたので,2日目からは旧1回生も含めて全員が,各自の調査目的に沿った地点に分かれて調査しました。
駅前は1990年代の再開発によって大きく変貌していました。Pic.1.はJR駅前の公園広場ですが,以前は海でした。左側から,ポートターミナル(フェリー乗り場)や,しまなみ交流館(観光物産店),大型ビジネスホテル,1~2階に地元資本の百貨店がテナントとして出店する集合住宅,などが見えます。
集合写真を撮影したのち全員で旧尾道市街地を見て回りました。Pic2.は尾道市街を東西に走る中心商店街で,昔の西国街道だった道です。往時のにぎわいを思わせる立派なアーケードとカラータイルでの舗装が設えられていて,いくつかの商店街組合に分かれています。また,その区画にはいずれも歴史的な意味があるようです。ただ,全国いずこも同じで,残念ながらシャッター店が散見されます。商圏の中心は新興住宅が集まる西部市街地に移動しているようです。
Pic.2.の左手に見える道標は千石寺への道を示していますが,尾道の南北の道は,幅が半間程度の路地が中心となっています。我々が見慣れた亰屋よりもさらに奥に細長い構造だったようです。(ただし歴史的な町割りは,近代以降細分化されてきている印象です。)
Pic.3.は,西国街道と出雲街道との交差点だった地点です。この両街道は,尾道が海運の商都として発達するうえで,その地形のほかに重要な役割を果たしたそうです。とくに出雲街道は,中国山地のたたら製鉄と石見銀山との交通が大きかったようで,石見と尾道は4日間の時間でつながっていたということです。
後は鉄や銀,塩などの他に,花崗岩,畳表,木材,酢などが運ばれたそうです。
ほかに,夏巡検では個人的なテーマとして,図にあるような井戸をトレーサーとして,地形の判読を行うつもりです。現在はほとんど利用されていませんが,井戸台帳にあたってみるつもりです。幸い,水まつりが毎年盛大に開かれているということですので,地形の他に水利についても調べてみます。
このあと千光寺に向かいましたが,長くなるのでここで中断します。
(River)
とりあえず,初日に全員で歩いた尾道旧市街地のようすだけ報告します。
| Pic.1. 尾道駅前のようす |
駅前は1990年代の再開発によって大きく変貌していました。Pic.1.はJR駅前の公園広場ですが,以前は海でした。左側から,ポートターミナル(フェリー乗り場)や,しまなみ交流館(観光物産店),大型ビジネスホテル,1~2階に地元資本の百貨店がテナントとして出店する集合住宅,などが見えます。
| Pic.2. 尾道の商店街のようす |
Pic.2.の左手に見える道標は千石寺への道を示していますが,尾道の南北の道は,幅が半間程度の路地が中心となっています。我々が見慣れた亰屋よりもさらに奥に細長い構造だったようです。(ただし歴史的な町割りは,近代以降細分化されてきている印象です。)
| Pic.3.出雲街道の終点 |
後は鉄や銀,塩などの他に,花崗岩,畳表,木材,酢などが運ばれたそうです。
ほかに,夏巡検では個人的なテーマとして,図にあるような井戸をトレーサーとして,地形の判読を行うつもりです。現在はほとんど利用されていませんが,井戸台帳にあたってみるつもりです。幸い,水まつりが毎年盛大に開かれているということですので,地形の他に水利についても調べてみます。
このあと千光寺に向かいましたが,長くなるのでここで中断します。
(River)
2012年2月23日木曜日
関地連研究発表会
ブログの編集方法を教えてもらったので早速更新したいと思います。
地理研一回生のNです。
2月20日に関西学生地理学連合(関地連)の年間研究発表会を行いました。
参加校は、追手門大学、京都大学、立命館大学、奈良大学の各研究会さんの年間行事、調査結果の発表を行いました。
私たち奈良大学地理学研究会では今年度の調査地である和歌山県田辺市についての研究発表を行い、他大学さんとの交流を深めました。
来年度の関地連主幹校は私たち奈良大学になります。今後ともよろしくお願いします。
地理研一回生のNです。
2月20日に関西学生地理学連合(関地連)の年間研究発表会を行いました。
参加校は、追手門大学、京都大学、立命館大学、奈良大学の各研究会さんの年間行事、調査結果の発表を行いました。
私たち奈良大学地理学研究会では今年度の調査地である和歌山県田辺市についての研究発表を行い、他大学さんとの交流を深めました。
写真1.研究発表を行う部員
写真2.集合写真
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