2013年7月22日月曜日

京大、大津~京都巡検

7/14に行われた京都大学主催の大津~京都巡検に参加してきました。

当日は晴れ間に雨が降る事もありましたが、猛暑の合間で若干涼しさもかんじられました。


 まずは京阪浜大津駅。
 江若鉄道は滋賀県大津市浜大津駅から滋賀県高島市近江今津駅まで結んでいた鉄道で、今の湖西線開通に伴って廃止されたした。明治22年の湖東線開通などの交通の要所として栄えた滋賀県では鉄道建設が進められ、湖東にも鉄道を引こうという運動が行われてきた。大正10年に開通し地域住民の足として鉄道輸送を担ったが、モータライゼーション進行と湖東線の輸送増加、さらに湖西線建設の具体化によって用地を国鉄に売却し廃線に至りました。
 この廃線跡は都市開発に伴い見ることはできなくなりました。その大半は湖西線の用地として利用されたため全区間を歩くことはできませんが、浜大津駅から遊歩道として整備されている大津絵の道があります。

写真1 大津絵の道

 次は逢坂の関。
 古来多くの作品に登場することで有名かもしれません。都と東国の関として置かれ要所、交通の拠点とされました。現在では国道一号線が通り抜け、関の本来の場所が何処にあったかはわかっていません。一説によれば長安寺の付近であったとも言われています。
写真2 逢坂山開址
琵琶湖疏水は滋賀県の琵琶湖から京都まで水道用水を引くために建設された水路です。建設当初は水運で琵琶湖から京都まで物資を輸送するとともに、水力発電で市電の電気を供給するというものでした。しかし水運の方は1889年に全通した東海道本線によって衰退し、市電も1978年に廃止されました。現在は主に145万人へ供給する水道用水として使われ、規模が縮小された水力発電では約2000戸に電力を供給しています。



写真3 琵琶湖疏水

写真4 諸羽トンネル

  2013年7月16日に名神高速は開通50周年を迎えたましたが、この起工地が京都府山科区にあります。元は東海道本線の旧線であり、現在の京都~山科間にトンネルが通る前は山を避けて回るルートでした。名神高速のルート自体は戦前から検討されていましたが、戦局の悪化で中断し、戦後の1951年から再開し、1958年10月にこの場所で起工、1963年7月16日に開通となった。
 
写真5 名神高速起工の地の碑

 最期は祇園祭と八坂神社である。祇園祭と言えば京都三大祭りの一つにもなっており、約50万人が訪れます。八坂神社と祇園祭のかかわりは869年に疫病がはやった時に66本の鉾を立て、祇園の神を祀った事が始まりとされています。66本なのは当時の国の数であり、古くは祇園御礼会(ごりょうえ)と呼ばれていました。
 現在の祇園祭では山と鉾を32基くみ上げ町を練り歩くきます。
 
写真6 八坂神社本殿

写真7 山

写真8 鉾


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