ずいぶん荒っぽいですが,海岸沖積部の報告は前日で終わりにして,今日は尾道の景観を決定づける後背山地へ向かいます。
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Pic.1.尾道市街地の地形 (Garmin,MapSource) |
元々は千光寺の領地だったのですが,明治中期に阿波国の三木半左衛門によって公園化がはじまり,その後土地が尾道市に寄贈され,1905年に,尾道市によって公園化が完成したようです。(年代は確認していませんが,古い写真には観覧車などが写っていました)。
想像するに,明治中期に大陸との交易が盛んになるにつれ(歴史的に見て純粋な交易とはいえない一面があったかもしれませんが),全国各地から半左衛門のような豪商が尾道に集まり,尾道は第3期発展時代を迎えたのではないでしょうか。(ここでは第1期,2期については省略しますが,今も観光に活用保存されている商工会館をみるだけでも当時の隆盛がしのばれます)。これも現地点でのあてずっぽうの推測ですが,現在山腹斜面に建つ住宅は,明治以降のものが多いのではないでしょうか。
Pic,2.くさり岩の基部で記念撮影
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さて,千光寺へ向かいますと,大きな花崗岩の露岩が現れます。千光寺ではめぼしい岩に名前がつけられ,これは「くさり岩」と呼ばれているようです。向かって右側が「男岩」,左側が「女岩」で,男岩の右にあるガリー(というか,チョックストーン状の岩)から登れるようになっています。ちなみに女岩の方からは,リスもない一枚岩のボルンハルトで,ボルトでもない限りおっかなくて登れそうにありませんでした。
Pic.3.男岩を背面登攀するT君 |
ところで,この巨岩は千光寺の霊場(あるいは行場)であったはずですが,今は観光の対象として利用されているところが,一昨年,韓国を訪れたときに見たソウル近郊の仁王寺や太白山(テベクサン)浮石寺(プソクサ)でのようすと比較して印象的でした。(もちろん,千光寺もこの岩だけでしたが。)
この海と山と港町が醸し出す景観は,絵葉書に出てくるようなすばらしいものでしたが,よく考えれば極度に人工的なものであることがわかります。中世から港湾づくりと塩田開発が行われ,明治時代の絵図や写真を見ますと山も禿山でした。未確認ですが,Pic.4に見える崖の禿げた部分は採石場だったのではないでしょうか。
千光寺も今はロープウェイで手軽に登れますし,現在,尾道の景観を観光者として見るとき,いったい何を対象として見るべきなんでしょう。
観光を,純粋に余暇を楽しむものとして考えることができた頃が少しうらめしい。(River)