2011年10月15日土曜日

タイのつづき(3)

 青垣祭まで残すところ2週間となり,H棟は活気を帯びてきました。これからが最後の火事場のクソ力を発揮できる期間で,クラブ全体としての力量が試されます。
 とか何とかいって,私は何もせずヒヨッテいるだけですが,本当のところは何もできないというのが正しく,情けない。別に死ぬほど忙しいわけでもないのですが,さすがに,春合宿以降現地を見ていないというのは致命的で,私が唯一参加可能な展示作業にも自信をもてないことが尾を引いています。お祭り前だというのにちょっとブルーな気持ちです。

さて,気を取り直してタイの紹介です。

図1.マレー半島中部の東海岸に発達する砂嘴とラグーン

前回は,マレー半島両岸の地形について紹介しましたが,いずれにしましても,マレー半島そのものはプレート運動による大きな褶曲山地であり,火山フロントではありません。プーケットからナコンシタラマート一帯には石灰岩地形が点在し,熱帯特有の赤色に風化した土壌が見られました。標高のある山の帽岩の部分は比較的しっかりとしており,山腹は風化して削られて急斜面となっていました。このような山体のシルエットはアドリア海周辺と似通っていたのですが,いかんせん,気候の違いによる植生が全く異なり,同じ石灰岩地形とは思えない景観でした。また,地質は確認できていませんが,海岸近くの平野には小さな残丘がいくつか見られました。


図2.ノイ湖近くの東海岸に見られる後背湿地と
遠方に見られる石灰岩地形の山(途中は海:南南東向き)

一方,東海岸の地形ですが,平野部は浜堤列平野です。図1から想定しますと,ソンクラーからナコンシータマラートまで,およそ150㎞におよぶ大きな浜堤でできた平野が連なっています。前回-図1のLaem Talumphuk集落の部分は成長段階の砂嘴ですが,タレーノイ国立公園から南にある大きな湖はラグーン(図2,3)であり,歴史的には,ソンクラーの部分から砂嘴の形成が始まっているように見えます。巡検では,東海岸が時代とともに南側から順に陸化してきたことをイメージしながら観察できました。その形成史については,引率していただいた海津先生をはじめとする国際プロジェクトによる研究で明らかになるはずです(ただし,私が未確認だけで発表済みかもしれません)。

図3.ノイ湖の湖岸のようす
(深さは数10㎝と浅く,沖合にも水草が浮かぶため,
船の幅は狭く長い)


図4は,以前に紹介したKing’s Projectの記念館(王様の離宮内)で見学した,この周辺のジオラマです。
ところで,砂嘴の形成については,まだ理解できていないことがあります。砂嘴の母材はどこのもので,どのように運ばれてきたのかということです。タイ湾が大陸棚であることと河川流域の地形・地質・流量・広さとの関係,そして,ケッペンの海流図()によるとタイ湾の海流は反時計まわりであるのに,なぜ南側から砂嘴が形成されたような地形ができるのか,あるいは沿岸流は反対方向であるのかなど,基本的なデータをまだ入手できていませんので今一つ思考が深まりません。(タイ語は無論のこと,英語さえチンプンカンプンな学生の限界を感じてしまうなあ。青息吐息の後に残るは,ため息のみ。)

図4.東海岸のジオラマ(写真は合成)
(浜堤列平野の地形とKing's Projectとの関係を示す)


さて,ここまで,周辺の地形について概観しましたが,この辺でようやくエビの養殖の話題に取り付けそうです。けれども,あまり長くなってもなんですので,この辺でいったん区切ります。(River

(※)「世界の気候区と海流」W.Koppen*ほか:『基本地図帳』二宮書店(2006)
    (*Koppenの「o」は上に「‥」)

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