2011年5月6日金曜日

三陸海岸の被災のようす(3)

 今回は釜石市大槌町のようすを報告しようと思っていましたが,地図をアップするのに時間がかかりそうなので,前回に続き田老を報告します。

図9.図1の⑤地点での露頭
 
 図9は,防波堤と防潮堤の中間地点にある露頭のようすです。図の左側に白いプレートが見えますが,これは,明治と昭和の三陸津波の際に到達した水位の高さをメモリアルしたものです。一方,右側の露頭では今回到達した水位を小さな付着物として見ることができます。
 ここでは2つの見方があるように思いました。一つは,今回の地震のエネルギー(Mw9.0) の大きさによる津波の高さです。もう1つは明治と昭和の津波被害を受けた後に建設された防波堤と防潮堤による津波の吸い上げ効果です。
 まだ勉強不足で早急な判断はできませんが,後者の可能性と,それによる社会的な影響について考えることが地理的に重要だと感じました。
図10.防潮堤の決壊部断面

 
 図10は,図1の⑦部分での防潮堤のようすで,左側が陸側,右側が海側です。すでに漂着物はかなり整理されており,土砂の移動も行われていますが,異様なのは防潮堤の陸側の土堤部分のようすです。港湾空港技術研究所の報告にも釜石防波堤の破堤プロセスとして,両岸の水位差と,ケーソン部の隙間の流速とによるマウンド洗掘の可能性が指摘されていますが,それにしても,不自然な(あるいは理解しにくい)地形が残るものだという印象が残ります。人の手が入ったという可能性もありますが今後の宿題です。



図11.破堤部のようす

 図11も防潮堤の決壊部のようすです。
 私は,防波堤の構造は基本的にダムと同じだと思っていたのですが,このようすを見て,これまでまったく理解できていなかったことがよくわかりました。要は,防波堤のケーソンは重力式ブロックを置くという工法で,並べられているに過ぎないということです。ケーソンの隙間を十分なコンクリートで固定されているわけでもなく,鉄筋でつながっているわけでもないからです。(湾口の防波堤はサイコロを振ったような状態でした。)
 もちろん,ダムと異なり浸透圧による決壊を考える必要はありませんのでこの工法にも合理性はあると思います。しかし,結果論として課題を感じました。

  私は災害や防災に焦点を当てて研究しているわけではありませんが,今回の調査は,今後の研究に対して重要な意味を持つことが明らかです。これまで地域を考える時,あるスパンの期間が必要ですが,切り取る基点がいつでもいいというわけにはいかず悩むときがありました。クラブの調査で神戸市を取り上げた時が正にそうでして,震災時を見ていない私には本当に荷が重い作業でした。こういっては不謹慎ですが,今回の震災は私に基点を与えてくれたような気がしています。現在は修論で時間がありませんが,修了後に取り組もうと考えています。

 他にも報告したいことはまだまだ山積ですが,とりあえず三陸の報告は今回で終了にします。
River
 








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